岸本 豊太郎(豐太郎、きしもと とよたろう、1860年3月7日(万延元年2月15日[1])- 1911年明治44年)12月31日[2][3][4])は、明治期の実業家政治家貴族院多額納税者議員、神戸商業会議所(現神戸商工会議所)会頭。

岸本豊太郎
きしもと とよたろう
生年月日 1860年3月7日
出生地 日本の旗 日本 摂津国八部郡兵庫津
(現兵庫県神戸市兵庫区)
没年月日 (1911-12-31) 1911年12月31日(51歳没)

在任期間 1911年9月29日 - 1911年12月31日



神戸市湊西区会議員
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経歴

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摂津国八部郡兵庫津[5]兵庫県[2]神戸区神戸市[3]湊西区を経て現神戸市兵庫区)で、醤油醸造業、米穀仲買業[3][5]・岸本甚介[注釈 1]、貞彰の二男として生まれる[1][5]。年少で父を失い母に養育され[3][5]、13歳で大阪素封家・豊田宇左衛門家で丁稚奉公し[3][5]、1874年(明治7年)10月に分家して[1]金銭貸付業を営んだ[3][5]

1892年(明治25年)兵庫貯蓄銀行を設立し[5]、さらに1894年(明治27年)岸本銀行を設立して頭取となる[3][4][5]。その他、兵庫倉庫専務取締役、神戸瓦斯取締役、満州商業監査役、帝国水産監査役、神栄監査役、神戸商業会議所議員などを務め[3]、1905年(明治38年)3月、神戸商業会議所会頭に就任した[1][3]

政界では、1888年(明治21年)神戸市湊西区会議員に就任[2][5]。その後、神戸市会議員、同参事会員、兵庫県会議員、兵庫県防疫評議員、済生会評議員などを務めた[2][3][5]

1911年7月、兵庫県多額納税者として貴族院議員に互選され[5][6]、同年9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられたが[3][7]、同年12月に死去した[2][8]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『現代兵庫県人物史』304頁、『兵庫県人物事典 中巻』36頁では甚助。

出典

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  1. ^ a b c d 『人事興信録 第3版』き86頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』196頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『兵庫県人物事典 中巻』36頁。
  4. ^ a b 『明治過去帳』新訂初版、1240頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j k 『現代兵庫県人物史』304-306頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、21頁。
  7. ^ 『官報』第8485号、明治44年9月30日。
  8. ^ 『官報』第8560号、明治45年1月4日。

参考文献

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  • 田住豊四郎編『現代兵庫県人物史』県友社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『兵庫県人物事典 中巻』のじぎく文庫、1967年。
  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。