岩本 (指宿市)
岩本(いわもと)は、鹿児島県指宿市の大字。旧薩摩国揖宿郡指宿郷岩本村、薩摩国揖宿郡今和泉郷岩本村、揖宿郡今和泉村大字岩本。人口は1,175人、世帯数は493世帯(2010年10月1日現在)[1]。郵便番号は891-0315。
岩本 | |
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岩本の中心部を小牧付近から望む | |
北緯31度17分25秒 東経130度36分12秒 / 北緯31.29028度 東経130.60333度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 指宿市 |
地域 | 指宿地域 |
人口 (2010年10月1日現在) | |
• 合計 | 1,175人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
891-0315 |
地理
編集指宿市の北部に位置する。字域の北方から西方にかけては指宿市小牧、南方には指宿市新西方、西方、池田がそれぞれ隣接しており、東方には鹿児島湾に面している。
字域の東部を海岸線に沿って国道226号と指宿枕崎線が通っており薩摩今和泉駅が所在している。指宿岩本交差点からは鹿児島県道28号岩本開聞線が南方に向けて通っている。
西端部には鹿児島県道245号飯山喜入線が小牧との境界線上を通っている。
字域は東西に細長い形状をしており、大部分が山地となっているが、集落は主に薩摩今和泉駅及び岩本漁港周辺の海岸部に密集している。
歴史
編集岩本の成立と近世
編集岩本という地名は江戸期より見え、薩摩国揖宿郡指宿郷(外城)のうちの岩本村であった[2]。岩本は岩元とも表記された[3]。
延享元年に島津忠卿が応永24年に川辺城の戦いで和泉家当主であった直久が戦死して以降、断絶していた和泉家を継ぎ、今和泉島津家と称し、その際に指宿郷及び頴娃郷の一部から今和泉家の私領として今和泉郷が編成され[4]、それまで指宿郷に属していた岩本村は揖宿郡今和泉郷のうちとなり[2]、岩本村内には今和泉郷の地頭仮屋が置かれ[2]、地頭仮屋付近には麓及び野町が形成された[3]。
今和泉郷のうちの岩本村としての村高は「三州御治世要覧」では499石余、「天保郷帳」では472石余、「旧高旧領取調帳」では287石余と記載されている[3][2]。
町村制施行以後
編集1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、それまでの今和泉郷の全域より今和泉村が成立し、それまでの岩本村は今和泉村の大字「岩本」となった[2]。岩本には今和泉村役場が設置された。
1954年(昭和29年)4月1日に今和泉村が指宿町と合併、同時に市制施行し指宿市が成立。それに伴い、指宿市の大字「岩本」となる[2]。
2006年(平成18年)1月1日には指宿市が山川町及び開聞町と新設合併し、新制の指宿市となったが、旧指宿市の区域では大字名の変更は無く、住所の表示は従来通り(指宿市大字岩本)である[5]。
施設
編集- 公共
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- 指宿市役所今和泉出張所
- 鹿児島県水産技術開発センター
- 教育
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- 指宿市立指宿商業高等学校
- 指宿市立今和泉小学校
- 槌橋保育園
- 郵便局
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- 今和泉郵便局
史跡
編集小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[8]。
大字 | 地区 | 小学校 | 中学校 |
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今和泉 | 全域 | 指宿市立今和泉小学校 | 指宿市立西指宿中学校 |
交通
編集道路
編集- 国道
鉄道
編集脚注
編集- ^ 2.男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等(CSVファイル)( 平成22年国勢調査 小地域集計 46鹿児島県) - 総務省統計局 2012年7月25日閲覧。
- ^ a b c d e f 角川日本地名大辞典 p.126
- ^ a b c 鹿児島県の地名 p.221
- ^ 角川日本地名大辞典 p.116
- ^ “新市の住居表示”. 指宿市. 2007年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月13日閲覧。
- ^ 豊玉媛神社 - 鹿児島県神社庁、2013年8月24日閲覧。
- ^ 文化財・史跡(今和泉島津家墓地の項) - 指宿市、2013年8月24日閲覧。
- ^ 指宿市小学校及び中学校の通学区域に関する規則 - 指宿市 2013年8月24日閲覧。
参考文献
編集- 『日本歴史地名体系 47 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 4-582-49047-6。
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609。
関連項目
編集- 岩本(曖昧さ回避ページ)