岩元颯オリビエ
日本のサッカー選手
岩元 颯 オリビエ(いわもと りゅう オリビエ、1996年4月3日 - )は、鹿児島県鹿児島市吉野町出身[1] の元プロサッカー選手。ポジションはFW。
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名前 | ||||||
愛称 | オリ | |||||
カタカナ | イワモト リュウ オリビエ | |||||
ラテン文字 | IWAMOTO Ryu Olivier | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1996年4月3日(28歳) | |||||
出身地 | 鹿児島県鹿児島市 | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
2009-2011 | 京都サンガF.C.U-15 | |||||
2012-2013 | 京都サンガF.C.U-18 | |||||
2014 | 鹿児島城西高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2015-2017 | ジュビロ磐田 | 0 | (0) | |||
2015 | → Jリーグ・U-22選抜 | 12 | (0) | |||
2016 | → ヴァンラーレ八戸 (loan) | 8 | (1) | |||
2017 | → ガイナーレ鳥取 (loan) | 24 | (4) | |||
通算 | 44 | (5) | ||||
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経歴
編集中学進学と同時に京都サンガF.C.U-15に入団。同期に大西勇輝、永島悠史、奥川雅也がいる[2]。2010年全日本ユース(U-15)選手権で得点王を獲得。
高校3年生の時に鹿児島城西高等学校に編入学[3]。第93回全国高等学校サッカー選手権大会に出場する。
2015年にジュビロ磐田に入団[4]。同年3月29日に行われたJ3第3節FC琉球戦で、Jリーグ・アンダー22選抜としてJリーグデビューを果たしたものの、トップチームでの出場は叶わず、2016年9月2日に当時日本フットボールリーグ (JFL) 所属だったヴァンラーレ八戸へ期限付き移籍[5]。
翌2017年1月6日にガイナーレ鳥取へ育成型期限付き移籍[6][7]。24試合で4ゴールを挙げる。翌2018年シーズンも期限付き移籍が検討されていたが、同年2月に磐田との契約を1年残した状態で現役引退を発表する[8][9]。サッカー選手としての自分の限界と共に、セカンドキャリアに苦労する選手たちの姿を見ての決断だったという[2]。
引退した年に法政大学に入学。2年間で卒業単位を揃えた上で日商簿記検定2級や証券外務員一種などの資格を取得[2]。在学中にはユーグレナとリバネスによる合弁ベンチャーキャピタル「リアルテックファンド」に勤務した[10]。大学卒業後はリアルテックファンドを去り投資銀行に就職しカバレッジバンカーとして勤務している[2]。
人物
編集- 名前からハーフと思われがちだが、父親は「国境なき医師団」で活躍した医師で、母は青年海外協力隊で活動したという経歴を持つ日本人である。両親がカナダ・ケベックに居住していた時期があり[2]、母親が彼を妊娠していた頃に現地の友人と共に考え「オリビエ」と名付けられた。オリビエとは「オリーブ」の意味で国連の旗の象徴でもあり、「世界平和への貢献」の意味も込められているという[11]。
- 京都U-15に在籍中の中学3年時に怪我で入院した際、同じ病院に当時京都に在籍していた柳沢敦が入院しており、連日のように柳沢の個室を訪れてはサッカーの話をしたという[11]。
- 高校2年生の途中までは京都サンガF.C.U-18に所属していたが、家庭の事情により2014年1月に鹿児島県に帰郷し鹿児島城西高校に編入した[12]。
所属クラブ
編集- アマ経歴
- プロ経歴
- 2015年 - 2017年 ジュビロ磐田
- 2015年 Jリーグ・アンダー22選抜
- 2016年9月 - 同年12月 ヴァンラーレ八戸 (期限付き移籍)
- 2017年 ガイナーレ鳥取 (期限付き移籍)
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | 磐田 | 32 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2016 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2016 | 八戸 | 17 | JFL | 8 | 1 | - | - | 8 | 1 | ||
2017 | 鳥取 | 20 | J3 | 24 | 4 | - | 1 | 0 | 25 | 4 | |
通算 | 日本 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
日本 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
日本 | J3 | 24 | 4 | - | 1 | 0 | 25 | 4 | |||
日本 | JFL | 8 | 1 | - | - | 8 | 1 | ||||
総通算 | 32 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 33 | 5 |
その他の公式戦
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | 期間通算 | ||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
2015 | J-22 | - | J3 | 12 | 0 | 12 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J3 | 12 | 0 | 12 | 0 | |||||
総通算 | 12 | 0 | 12 | 0 |
- Jリーグ初出場 - 2015年3月29日 J3第3節 FC琉球戦(沖縄県総合運動公園陸上競技場)
- Jリーグ初得点 - 2017年4月30日 J3第6節 グルージャ盛岡戦(とりぎんバードスタジアム)
脚注
編集- ^ J2ジュビロ磐田にオリビエ入団 - 鹿児島テレビ(KTS) 2014年10月22日付。2015年2月7日閲覧。
- ^ a b c d e 安藤隆人 (2022年4月29日). “「僕は3浪して大学に入ったようなもの」21歳で辞めた高卒Jリーガーが“大手投資銀行の金融マン”になるまで《鹿児島城西では大迫勇也と同じ9番》”. Number Web. 2022年4月29日閲覧。
- ^ 安藤隆人 (2014年12月26日). “磐田加入内定の大型FW岩元颯オリビエ Jクラブから高校へ移り得たもの”. スポーツナビ. 2022年4月29日閲覧。
- ^ 『岩元 颯オリビエ選手の加入内定について』(プレスリリース)ジュビロ磐田、2014年10月20日 。2022年4月29日閲覧。
- ^ 『新加入選手のお知らせ』(プレスリリース)ヴァンラーレ八戸、2016年9月2日 。2022年4月29日閲覧。
- ^ 『岩元 颯オリビエ選手がガイナーレ鳥取へ期限付き移籍』(プレスリリース)ジュビロ磐田、2017年1月6日 。2022年4月29日閲覧。
- ^ 『岩元 颯オリビエ選手 期限付き移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)ガイナーレ鳥取、2017年1月6日 。2022年4月29日閲覧。
- ^ 『岩元 颯 オリビエ選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)ジュビロ磐田、2018年2月3日 。2022年4月29日閲覧。
- ^ 『岩元 颯オリビエ選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)ガイナーレ鳥取、2018年2月3日 。2022年4月29日閲覧。
- ^ 岩元颯オリビエ (2020年2月8日). “だから僕はJリーガーを引退した”. 2020年2月8日閲覧。
- ^ a b 磐田岩元 柳沢氏との写真持参で入寮 - 日刊スポーツ 2015年1月15日付。2015年2月7日閲覧。
- ^ 選手権予選特別な思い胸に選手権へ臨む磐田内定FW、鹿児島城西・岩元が1ゴール:鹿児島 - ゲキサカ 2014年11月13日
関連項目
編集外部リンク
編集- 岩元颯オリビエ - Soccerway.com
- 岩元颯オリビエ - FootballDatabase.eu
- 岩元颯オリビエ - WorldFootball.net
- 岩元颯オリビエ - Transfermarkt.comによる選手データ
- 岩元颯オリビエ - J.League Data Siteによる選手データ
- 岩元颯オリビエ (@Olivier_Ryu) - X(旧Twitter)
- 岩元 颯オリビエ (Ryu olivier Iwamoto) note