岡崎トミ子

日本の政治家、アナウンサー

岡崎 トミ子(おかざき トミこ、1944年昭和19年〉2月16日[1] - 2017年平成29年〉3月19日[2])は、日本政治家アナウンサー

岡崎 トミ子
おかざき とみこ
生年月日 (1944-02-16) 1944年2月16日
出生地 日本の旗 日本 福島県福島市
没年月日 (2017-03-19) 2017年3月19日(73歳没)
死没地 日本の旗 日本 宮城県仙台市
出身校 福島県立福島女子高等学校
(現・福島県立橘高等学校
前職 東北放送アナウンサー
所属政党日本社会党→)
社会民主党→)
旧民主党→)
民主党

内閣 菅直人第1次改造内閣
在任期間 2010年9月17日 - 2011年1月14日

選挙区 宮城県選挙区
当選回数 3回
在任期間 1997年 - 2013年7月28日

選挙区 旧宮城1区
当選回数 2回
在任期間 1990年 - 1996年
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衆議院議員(2期)、参議院議員(3期)、文部政務次官村山内閣)、参議院総務委員長、参議院災害対策特別委員長国家公安委員会委員長第82代)、内閣府特命担当大臣消費者及び食品安全少子化対策男女共同参画)、民主党副代表を歴任。

来歴

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福島県福島市出身[3]。最終学歴は、福島県立福島女子高等学校(現:福島県立橘高等学校)卒業[3][注釈 1]

福島女子高では体操部に所属し、国民体育大会に出場した[1]。福島女子高を1962年(昭和37年)に卒業する[3]と同時にラジオ福島に入社し、アナウンサーを務めた[1]

1967年東北放送へ移籍し[1]、「希望音楽会」「子ども音楽コンクール」「歌のない歌謡曲」「クイズみやぎ東西南北」等の教養、娯楽番組や、毎年終戦記念日の前後に放送される反戦平和がテーマの特別番組などを担当した。また東北放送では、同社労働組合の副委員長を務めた[要出典]

1990年、東北放送を退社。同年2月18日の第39回衆議院議員総選挙日本社会党公認で旧宮城1区から立候補し、初当選した[4]

1993年第40回衆議院議員総選挙で再選[4]

1994年村山内閣では文部政務次官に任命された[4]

1996年、社会党の解党に伴い、その後継政党である社会民主党へ加わって副党首に就任するも、間もなく離党。

同年、新党さきがけを離党した菅直人鳩山由紀夫新進党鳩山邦夫、元北海道知事横路孝弘らが結成した旧民主党結党に参加し、党副代表に就任[4]

しかし結党直後の第41回衆議院議員総選挙では、民主党公認として宮城1区から立候補するも新進党の愛知和男に敗れ、落選[5]

1997年自由民主党市川一朗の辞職に伴う参議院宮城県選挙区補欠選挙に立候補し、参議院議員に当選(なお、市川は宮城県知事選挙に立候補したが、現職の浅野史郎に敗れ落選)[4]

2001年第19回参議院議員通常選挙で再選[4]

2004年9月、民主党副代表に就任[4]

2006年3月31日、民主党代表の前原誠司が、堀江メール問題の責任をとり辞任を表明[6]。前原の辞任に伴う代表選挙(4月7日実施)では菅直人の推薦人に名を連ねた[7]

2007年7月、第21回参議院議員通常選挙で3選[4]。政権交代後は民主党宮城県連代表として、宮城県建設業協会との関係強化を深めたが[8]、第19回宮城県知事選挙などで敗北が続いたことを受け、2009年10月30日に代表を辞任。

2010年9月の民主党代表選挙では現職・菅直人の推薦人に名を連ね、選挙対策副本部長を務め菅の再選に尽力。選挙後の内閣改造により発足した菅改造内閣国務大臣に就任。国家公安委員会委員長内閣府特命担当大臣消費者及び食品安全少子化対策男女共同参画)に任命され、初入閣[4]菅再改造内閣では再任されなかった。

2011年1月、民主党副代表に就任。併せて、党中央代表選挙管理委員長に就任。

2012年12月25日に行われた民主党代表選挙では海江田万里を支持した[9]

2013年7月21日第23回参議院議員通常選挙では、みんなの党和田政宗に5,000票余り及ばず、得票数3位となり落選[10]

2016年2月まで民主党宮城県連の最高顧問を務めた[11]

2017年3月19日午前、肝機能障害により仙台市内の病院で死去。満73歳没[2]

政治活動・主張

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問責決議案の提出

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2001年3月14日、内閣総理大臣森喜朗問責決議案の答弁に立ち、森政権下で起きた数々の事件や問題をあげて「あなたがこの事態を深刻に受け止め、リーダーシップを発揮して立ち向かっている姿は全く見えてこない」と非難し、森内閣が推進していた「教育改革」についても「様々なスキャンダルを引き起こし、真相究明から逃げているあなたが、どんなに立派なことを言っても、子どもたちは絶対にあなたの話を聞かないだろう」「あなたには教育をする、教育改革を語る資格はない」「あなたにできる唯一の教育は、静かにこの壇上から立ち去ること」と非難した[12]

内政

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  • 選択的夫婦別姓制度に賛成。婚姻によりどちらかの姓を選択しなければならないことは、どちらかが変わること。代わったほうは、今までの個が否定される感覚に陥ったり、社会的にも不自由な思いをすることになる。選択するかしないかの自由を制限しなければならないいかなる理由も見当たらない。お互いの生き方の自由を認め合うパートナーシップの考え方になるべき、と述べている[13]

韓国関連の活動

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  • 2004年12月、韓国クォータ制に関する勉強団の顧問として訪韓した[14]
  • 2005年12月5日、韓国のウリ党女性議員を日本に招いた懇談会で挨拶に立ち「韓国の選挙制度、男女共同参画社会の実現にむけた韓国の政策、選挙のあり方、新人を発掘の仕方などについて、たくさんの勉強をさせていただいた」と述べた[15]
  • 2006年3月6日、民主党の党本部に韓国の国会議員2名を迎えた少子高齢社会と男女共同参画に関する意見交換で挨拶に立ち、2005年に韓国を訪問した際の謝辞を述べた上で「韓国で学んだ内容も活かして、わが国における真の男女共同参画社会の実現のために今後も努力していきたい」などと語った[16]
  • 2010年11月23日に発生した延坪島砲撃事件において、事件明けの24日、国家公安委員会委員長として全国の警察本部在日本朝鮮人総聯合会の動静を収集するよう指示した[17][18]。一方自身は事件発生日の23日は警察庁に登庁せず自宅待機していたことが明らかになった[19]

慰安婦問題関連

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その他

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選挙歴

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当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第39回衆議院議員総選挙 1990年02月18日 46 旧宮城1区 日本社会党 14万9740票 17.04% 5 2/8 /
第40回衆議院議員総選挙 1993年07月18日 49 旧宮城1区 日本社会党 11万1360票 13.81% 5 3/8 /
第41回衆議院議員総選挙 1996年10月20日 52 宮城1区 旧民主党 5万6537票 29.66% 1 2/5 /
第17回参議院議員補欠選挙 1997年11月16日 53 宮城県 旧民主党 28万3255票 51.84% 1 1/4 /
第19回参議院議員通常選挙 2001年07月29日 57 宮城県 民主党 32万417票 32.24% 2 1/6 /
第21回参議院議員通常選挙 2007年07月29日 63 宮城県 民主党 54万9183票 52.74% 2 1/4 /
第23回参議院議員通常選挙 2013年07月21日 69 宮城県 民主党 21万5105票 22.81% 2 3/5 /

所属団体・議員連盟

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脚注

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注釈

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  1. ^ 岡崎が高校生であった時期の福島県では、県立旧制中学校(男子校)/高等女学校(女子校)の後身であるトップ高校は男女別学を維持しており、県都である福島市におけるトップ高校は福島県立福島高等学校(男子校、現在は校名を変えずに共学校)と、岡崎が進んだ福島県立福島女子高等学校(女子校、現在は福島県立橘高等学校に校名を変更して共学校)の2校が並立していた

出典

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  1. ^ a b c d 河北新報 1985年3月10日朝刊 20面「登場」コーナー
  2. ^ a b “元民主党副代表の岡崎トミ子さん死去”. 朝日新聞. (2017年3月19日). http://www.asahi.com/articles/ASK3M5Q3DK3MUNHB00F.html 2017年3月19日閲覧。 
  3. ^ a b c 菅内閣 閣僚名簿:国家公安委員長 内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全少子化対策 男女共同参画)岡崎トミ子”. 内閣総理大臣官邸. 2024年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月17日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i 国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画)”. 首相官邸. 2016年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月5日閲覧。
  5. ^ 岡崎トミ子さんが死去 元国家公安委員長兼消費者・少子化相”. 日本経済新聞 (2017年3月19日). 2019年12月21日閲覧。
  6. ^ “前原代表ら民主執行部「偽メール問題」で総退陣”. J-CASTニュース. (2006年3月31日). https://www.j-cast.com/2006/03/31000846.html 2021年11月30日閲覧。 
  7. ^ 2006年4月7日 民主党代表選 推薦人名簿”. 江田五月 - 新たな出発 (2006年4月7日). 2010年9月6日閲覧。
  8. ^ 2009/10/03 00:00 【河北新報】 民主、建設業界に急接近 宮城知事選 [1]
  9. ^ 民主代表に海江田氏 東北議員、結束し党再生を 2012/12/26 06:10 【河北新報】 [2]
  10. ^ 岡崎トミ子 参院選2013”. 読売新聞. 2016年7月5日閲覧。
  11. ^ 宮城県連について”. 民主党宮城県総支部連合会 (2016年2月10日). 2016年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月5日閲覧。
  12. ^ 第151回国会 参議院 本会議 第9号”. 国会会議録検索システム (2001年3月14日). 2021年4月5日閲覧。国立国会図書館
  13. ^ 別姓通信41号、1997年
  14. ^ 民主党ホームページ:党男女共同参画委員会「クォータ制に関する勉強・調査」のため訪韓
  15. ^ 民主党:韓国・ウリ党女性議員と女性の政治参加・発展に向け懇談
  16. ^ 民主党ホームページ:男女共同参画推進本部、韓国の議員と少子高齢化などで意見交換
  17. ^ 朝鮮総連情報の収集指示=岡崎国家公安委員長 朝日新聞 2010年11月24日
  18. ^ 危機管理監到着1時間10分後 首相は『迅速対応』強調 東京新聞 2010年11月25日
  19. ^ “危機管理監到着1時間10分後 首相は『迅速対応』強調”. (2010年11月25日). https://web.archive.org/web/20101129044957/http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2010112502000200.html 2010年11月25日閲覧。 
  20. ^ 第154回国会 参議院 内閣委員会 第17号 平成14年7月23日
  21. ^ 民主党:【参院内閣委】岡崎議員、戦時性的強制被害者問題法案の趣旨を説明[3]
  22. ^ 民主党:【参院内閣委】戦時性的強制被害者問題法案、審議入り [4]
  23. ^ これについて、2010年10月22日の衆院法務委員会で、「人間の尊厳の回復」を訴えるためデモに参加したと述べた第176回国会 法務委員会 第2号(平成22年10月22日(金曜日))”. 衆議院 (2010年10月22日). 2020年12月3日閲覧。
  24. ^ 2010年10月14日 参議院予算委員会
  25. ^ 第176回国会 法務委員会 第2号(平成22年10月22日(金曜日))”. 衆議院 (2010年10月22日). 2015年7月24日閲覧。
  26. ^ 民主党:岡崎副代表、戦時性的強制被害者問題解決促進法案早期成立へ決意 [5]
  27. ^ 民主党:民主党などが「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」を再提出 [6][リンク切れ]
  28. ^ 赤旗 中国人「慰安婦」問題 院内集会開く/運動の再出発めざす [7]
  29. ^ 朝鮮新報 国会議員、市民団体ら 参院議員会館で集会 「慰安婦」解決促進法、早期制定を [8] [リンク切れ]
  30. ^ [9]
  31. ^ 第9回アジア連帯会議報告 [10] [11]
  32. ^ 聯合ニュース日本語電子版「韓国女性家族部長官が日本議員と面談=慰安婦問題で」
  33. ^ 女性家族部長官、日本政府に日本軍慰安婦被害者問題解決要求
  34. ^ 第3回 韓国訪問報告書 [12]
  35. ^ 民主党ホームページ:野党有志議員の「小泉首相の靖国参拝反対の集い」ひらく [13]
  36. ^ “朝鮮学校理事長らから寄付 民主・岡崎議員の政治団体”. 共同通信社. 47NEWS. (2004-04-03to). https://web.archive.org/web/20130605103516/http://www.47news.jp/CN/200404/CN2004040301000517.html 2011年8月17日閲覧。 
  37. ^ “民主・岡崎参院議員の政治団体 北朝鮮男性から寄付”. 産経新聞. (2004年4月3日) 
  38. ^ 戦後処理に関するPT捕虜問題小委員会発足のご挨拶とご協力のお願い [14]

関連項目

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外部リンク

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公職
先代
中井洽
  国家公安委員会委員長
第82代:2010年 - 2011年
次代
中野寛成
先代
荒井聰
  内閣府特命担当大臣消費者及び食品安全
第3代:2010年 - 2011年
次代
蓮舫
先代
玄葉光一郎
  内閣府特命担当大臣少子化対策
第7代:2010年 - 2011年
次代
与謝野馨
先代
玄葉光一郎
  内閣府特命担当大臣男女共同参画
第13代:2010年 - 2011年
次代
与謝野馨
議会
先代
鈴木陽悦
  参議院災害対策特別委員長
2009年 - 2010年
次代
ツルネン・マルテイ
先代
小川勝也
  参議院総務委員長
2000年 - 2001年
次代
溝手顕正