岐阜県立恵那高等学校蛭川分校
岐阜県蛭川村にあった高等学校
岐阜県立恵那高等学校蛭川分校(ぎふけんりつえなこうとうがっこう ひるかわぶんこう)は、かつて岐阜県恵那郡蛭川村(現・中津川市蛭川)にあった公立の高等学校の分校。
岐阜県立恵那高等学校蛭川分校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 蛭川村 |
設立年月日 | 1949年 |
閉校年月日 | 1971年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 定時制 |
設置学科 | 普通科 |
所在地 | 〒509-8301 |
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概要
編集恵那高等学校の昼間定時制の分校であった。岐阜県立の高等学校の分校であったが、設置者は蛭川村であった[注釈 2]。全卒業生数は368名。
廃校後、校舎は1973年(昭和48年)3月にに蛭川村教育会館となった後、改修され1974年(昭和49年)から蛭川村役場として使用され[1]、2001年(平成13年)に隣接地に新庁舎竣工後も旧庁舎として使用された。2023年(令和5年)現在、蛭川総合事務所旧庁舎として、中津川北商工会蛭川支所、蛭川振興会事務所などに使用されている。2023年(令和5年)5月15日に落雷により建物の一部が焼失する被害が発生[2]。暫定処置として焼失個所のみ解体となったが、老朽化もあり、将来は全て取り壊す予定である[3]。
沿革
編集- 1949年(昭和24年)
- 1951年(昭和26年)4月 - 夜間定時制普通科を設置。
- 1955年(昭和30年)4月 - 独立校舎が完成。
- 1959年(昭和34年)
- 1月 - 生徒数増加のため、1955年(昭和30年)新築の校舎を解体して敷地を拡張し、新たな校舎を建設することとなる。
- 3月7日 - 理科教室(新校舎一期工事・木造平屋建)が完成。
- 4月 - 夜間定時制普通科を廃止。
- 10月8日 - 新校舎(普通教室二期工事・木造2階建)が完成。
- 1968年(昭和43年)3月 - 募集を停止する。
- 1971年(昭和46年)
- 3月5日 - 閉校式を行う。
- 3月31日 - 廃校。廃校時の生徒数は32名。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 岐阜県教育史別編一 ビジュアル版(2005年岐阜県教育委員会)P.175。
- ^ “蛭川総合事務所の旧事務所における火災対応について” (PDF). 中津川市. 2023年8月29日閲覧。
- ^ “施設分野別の再編計画” (PDF). 中津川市. 2023年8月29日閲覧。
参考文献
編集- 岐阜県定通教育三十周年記念誌 (岐阜県高等学校定時制通信制三十周年記念会 1978年) P.41 119
- 恵那市史 通史編 第3巻(1)下 近現代 (恵那市史編纂委員会 1993年) P.375 - 377 ※恵那高等学校に関する記述内
- 蛭川村史 (蛭川村史編纂委員会 1974年) P.630 - 635
- 岐阜県教育史 別編一 ビジュアル版(岐阜県教育委員会 2005年)P.175 - 177