山田 道兄(やまだ みちえ、1880年(明治13年)9月7日[1] - 1936年(昭和11年)8月27日[2])は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、ジャーナリスト。
岐阜県武儀郡東武芸村(現在の関市)出身。早稲田大学政治経済科出身。扶桑新聞主筆、東京毎日新聞記者、読売新聞記者を経て、民友通信社を創設して社長を務めた。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、4回の当選を重ねた。その間、濱口内閣で農林参与官を務めた。