山田珠一
山田 珠一(やまだ しゅいち、元治2年1月15日(1865年2月10日) - 昭和9年(1934年)4月17日)は、日本の衆議院議員(帝国党→大同倶楽部→中央倶楽部→立憲同志会→憲政会)。熊本市長。
経歴
編集豊後国国東郡草地村(現在の大分県豊後高田市)出身。漢学を修めた後、済々黌でドイツ語を学んだ。卒業後は九州日日新聞社に入り、主筆を経て、1899年(明治32年)に社長に就任した[1]。また熊本市会議員、市会議長も務め、1902年(明治35年)の第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。1903年(明治36年)には熊本県会議員に選出され、1907年(明治40年)には副議長となった[2]。1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙で国政に復帰し、1920年(大正9年)まで在任した。
また1913年(大正2年)から1914年(大正3年)までと、1930年(昭和5年)から1934年(昭和9年)までの2回、熊本市長を務めた。
栄典
編集- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[3]
脚注
編集参考文献
編集- 鷹居匡『第二十八議会衆議院議員写真列伝』経済時報社、1912年。
- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
公職 | ||
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先代 辛島格 |
熊本市長 第4代:1913年-1914年 |
次代 依田昌兮 |
先代 辛島知己 |
熊本市長 第9代:1930年-1934年 |
次代 山隈康 |