山口祥吾
山口 祥吾(やまぐち しょうご、1992年9月11日 - )は、神奈川県秦野市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。
ロッテ時代(2011年) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県秦野市 |
生年月日 | 1992年9月11日(32歳) |
身長 体重 |
175 cm 69 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2010年 育成選手ドラフト2位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集小学4年時から、地元の少年野球チーム「ホワイトスネークス」に所属し、野球を始める。秦野市立西中学校では軟式野球部に所属する傍ら2年時に出場したKボールの全国大会で第3位。
立花学園高等学校に進学すると、自宅から通える距離だったが練習に打ち込むため寮生活を始める。甲子園出場経験は無いものの、1年時から主力として活躍、2年次からはエースとなり、春季大会では横浜高のスラッガーであった筒香嘉智を4打席凡退に打ち取るなど力を着けていった[1]。
2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから育成2位指名を受けた[2]。
プロ2年間では、二軍で3試合の登板にとどまり、2012年10月7日、戦力外通告を受けた[3]。
2013年2月18日に行われたBCリーグドラフト会議にて、新潟アルビレックスBCから指名を受け[4]、入団が決定した。
引退後は埼玉県の建設会社で2年間会社員として働き、同時期に新潟アルビレックスBC時代から交際していた新潟県出身の女性と結婚。第一子が誕生し、新潟に戻る。戻った新潟では、新潟アルビレックスBCよりフロントスタッフ(総合営業部)に採用され、試合運営をはじめ、小学生向けの野球塾のコーチとしても活躍している[6]。また、2019年には第二子が誕生している。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集- 一軍公式戦出場なし
独立リーグでの投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
完 投 |
勝 率 |
投 球 回 |
打 者 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
奪 三 振 |
与 四 球 |
与 死 球 |
失 点 |
自 責 点 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 策 |
防 御 率 |
W H I P |
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2013 | 新潟 | 22 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 21.0 | 97 | 23 | 0 | 17 | 14 | 0 | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 4.29 | 1.76 |
2014 | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 21.2 | 99 | 15 | 1 | 26 | 20 | 2 | 8 | 6 | 1 | 0 | 1 | 2.49 | 1.66 | |
2015 | 23 | 1 | 3 | 1 | 0 | .250 | 23.1 | 120 | 18 | 0 | 19 | 27 | 3 | 15 | 12 | 3 | 0 | 1 | 4.63 | 1.95 | |
通算:3年 | 65 | 2 | 4 | 1 | 0 | .333 | 66.0 | 316 | 56 | 1 | 62 | 61 | 5 | 33 | 28 | 4 | 0 | 2 | 3.82 | 1.77 |
背番号
編集- 123 (2011年 - 2012年)
- 12 (2013年 - 2015年)
脚注
編集- ^ タウンニュース
- ^ 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2010年育成ドラフト会議全指名選手
- ^ 戦力外通告のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2012年10月7日
- ^ 2013年2月BCリーグドラフト会議指名選手のお知らせ - 新潟アルビレックスBC・オフィシャルサイト 2013年02月18日
- ^ 退団選手のお知らせ - 新潟アルビレックスBC・オフィシャルサイト 2015年11月02日
- ^ “「野球での「縁」と新潟の人のあたたかさで、今ここにいる」”. にいがた暮らし. 新潟へのUターン、移住情報が満載!. にいがた暮らし・しごと支援センター (2020年1月15日). 2021年10月26日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 山口祥吾 (@yamasho0911) - X(旧Twitter)