山元町

宮城県亘理郡の町

山元町(やまもとちょう)は、宮城県東南端の太平洋沿岸に位置する町。亘理郡に属する。南は福島県新地町と接する[3]

やまもとちょう ウィキデータを編集
山元町
山元町旗 山元町章
山元町旗
1985年11月1日制定[1]
山元町章
1964年11月3日制定[2]
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
亘理郡
市町村コード 04362-1
法人番号 2000020043621 ウィキデータを編集
面積 64.58km2
総人口 11,405[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 177人/km2
隣接自治体 角田市亘理郡亘理町伊具郡丸森町
福島県相馬郡新地町
町の木 クロマツ
町の花 ツツジ
町の鳥 ツバメ
山元町役場
町長 橋元伸一
所在地 989-2292
宮城県亘理郡山元町浅生原字作田山32
北緯37度57分46秒 東経140度52分41秒 / 北緯37.96267度 東経140.87808度 / 37.96267; 140.87808座標: 北緯37度57分46秒 東経140度52分41秒 / 北緯37.96267度 東経140.87808度 / 37.96267; 140.87808
山元町役場
地図
町庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

山元町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

地理

編集

町の地形は、西部が山地(森林)、中部が台地(畑・果樹園)、太平洋に面した東部が低地(水田)となっている。町内は大きく北部の山下地区、南部の坂元地区、海岸地区の三つに分けられる。もとは国道6号線沿いの旧山下・坂元両村の役場が置かれていた辺りに人家が集中していたが、これらの集落はともに最寄駅(常磐線の旧山下駅・旧坂元駅)からは離れており、電車を利用しての通勤・通学にはやや不便であったので、次第に常磐線沿いにも宅地が形成されていった。

  • 山:大森山(315.1m)・深山(287.2m)・四方山(272.6m)・権現堂山(325.0m)
  • 河川:戸花川・坂元川
  • 年平均気温:12.22005年
  • 月平均降水量:88.17mm(2005年)

歴史

編集
  • 承和元年(931年)頃に著された『和名類聚抄』に「曰理(わたり)郡に四郷を置く、すなわち坂本菱沼・亘理・望多」とある。これが山元町域が史料上に現れた最初である。当時の人口は1,000人から1,500人ほどと推測される(一郷は50戸。一戸の人数はおおむね10人 - 15人)。
  • 天喜4年(1056年)頃 - 亘理権大夫・藤原経清が亘理郡に入部し、亘理地方を所領とする。町内の中嶋館が経清ないしその一族の居館と推定されている。
  • 元和2年(1616年) - 大條宗綱が坂元城に入部し、以降幕末まで大條氏が坂元本郷ほか4,000石を領す。
  • 安政2年(1855年) - 異国船が磯浜付近に出没。
  • 明治元年(1868年) - 戊辰戦争駒ヶ嶺城陥落後、奥羽越列藩同盟の浜通り方面軍の本営が坂元城に置かれる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。山下村及び坂元村が発足する。
  • 1955年昭和30年2月1日 - 山下村及び坂元村が合併し、山元町が発足する。
  • 2011年平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震が発生。大津波により沿岸地区6集落が壊滅して多数の死傷者を出し、常磐線の町内区間が不通となる。
  • 2016年(平成28年)12月10日 - 常磐線の町内区間が運転を再開。山側に移転した山下駅坂元駅の新駅舎が開業。
  • 2019年(平成31年)1月 - 山元町役場新庁舎が竣工する。
  • 2019年(令和元年)5月7日 - 山元町役場新庁舎で業務を開始する。

行政

編集

歴代町長

編集
氏名 就任 退任 備考
1 菅野長三郎 1955年(昭和30年)3月13日 1959年(昭和34年)3月12日 元・山下村長
2 橋元義雄 1959年(昭和34年)3月13日 1967年(昭和42年)3月12日 元・山下村長
3 星龍治 1967年(昭和42年)3月13日 1975年(昭和50年)3月12日
4 引地好男 1975年(昭和50年)3月13日 1979年(昭和54年)3月12日
5 千石正乃夫 1979年(昭和54年)3月13日 1995年(平成7年)3月12日
6 森久一 1995年(平成7年)3月13日 2007年(平成19年)3月12日
7 大條修也 2007年(平成19年)3月13日 2010年(平成22年)3月23日
8 齋藤俊夫 2010年(平成22年)4月25日 2022年(令和4年)4月24日
9 橋元伸一 2022年(令和4年)4月25日 現職
  • 歳出総額:112億4,900万円(2005年度)
  • 町内を集落単位で24の行政区に分割
    • 山下地区 - 八手庭・横山・大平・小平・鷲足・山寺・山下・つばめの杜東[注釈 1]・つばめの杜西[注釈 2]・浅生原・高瀬・合戦原
    • 坂元地区 - 真庭・久保間・中山・下郷・町・上平
    • 沿岸地区 - 牛橋・花釜・笠野・新浜・中浜・磯
(ただし、合戦原にある国立病院機構宮城病院は、別途独立の扱いとなっている)

町議会

編集

町民憲章

編集

明るく住みよい和のある町をめざす

経済

編集

産業

編集
産業分類別就業者数
第一次産業:6,616人
第二次産業:1,988人
第三次産業:2,814人
2001年(平成13年)調べ)

郵便局

編集
  • 山元郵便局(集配局) 
  • 坂元郵便局(集配局)
  • 山下東簡易郵便局
  • 宮城病院内簡易郵便局
  • 山下横山簡易郵便局
  • 中浜簡易郵便局(東日本大震災により一時閉鎖中)

姉妹都市・提携都市

編集

国内

編集

地域

編集

人口

編集
 
山元町と全国の年齢別人口分布(2005年) 山元町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 山元町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
山元町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 14,820人
1975年(昭和50年) 15,869人
1980年(昭和55年) 17,630人
1985年(昭和60年) 18,236人
1990年(平成2年) 18,268人
1995年(平成7年) 18,815人
2000年(平成12年) 18,537人
2005年(平成17年) 17,713人
2010年(平成22年) 16,704人
2015年(平成27年) 12,315人
2020年(令和2年) 12,046人
総務省統計局 国勢調査より


健康

編集
 
国立病院機構宮城病院(2015年5月5日)

他に開業医8医院

教育

編集
 
山元町立山下小学校

中学校

編集
(廃止)

小学校

編集
  • 山元町立山下小学校
  • 山元町立山下第一小学校
  • 山元町立山下第二小学校
  • 山元町立坂元小学校
(廃止)
  • 山元町立中浜小学校(2013年3月、坂元小学校に統合)

特別支援学校

編集

幼稚園

編集
  • ふじ幼稚園
  • やまもと幼稚園

※ 山元町の受験生は宮城県の公立高校以外に、福島県立の相馬相馬総合の各高校を志願できる[4]

交通

編集

鉄道

編集
 
山下駅(2016年12月10日に開業した新駅舎)
東日本旅客鉄道(JR東日本)

バス

編集
 
ぐるりん号
かつては国鉄バス宮城交通福島交通の3社が路線バスを運行していたが、現在までにすべて廃止されている。国鉄バスは、角田を起点に東街道・高瀬口を経由して山下駅まで(のち東街道 - 山下駅間に短縮)の路線と、小斎峠を越えて坂元駅までの路線を運行していたが、1984年(昭和59年)に廃止。宮城交通は、岩沼駅から宮城病院までの路線を運行していたが2005年(平成17年)に廃止。福島交通は、相馬と宮城病院の間に1日4往復を運行していたが1981年(昭和56年)に廃止。相馬 - 磯浜間の路線も1985年(昭和60年)に廃止された。
  • 東北アクセス(旧・はらまち旅行)が運行する南相馬 - 仙台の高速バスが山元町役場に停車し仙台市方面との利用が可能であったが、全便特急(直行)化により2017年(平成29年)4月1日より経路外となった[5]

道路

編集
 
山元インターチェンジ

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

編集
 
八重垣神社

祭り・イベント

編集
  • ホッキ祭り - 2月下旬
  • ストロベリーラインふれあい市 - 6月上旬
  • 八重垣神社(お天王様)祭礼 - 7月下旬
  • 商工産業祭・文化祭 - 11月上旬
  • アップルラインふれあい市 - 11月下旬
  • やまもと食のまつり - 12月下旬

出身有名人

編集

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ つばめの杜一丁目・二丁目・三丁目。2016年8月1日、山下部落より分立
  2. ^ つばめの杜四丁目・五丁目。2016年8月1日、山下部落より分立

出典

編集

参考文献

編集
  • 『山元町誌』(宮城県亘理郡山元町)
    • 第1巻(1971年)
    • 第2巻(1986年)
    • 第3巻(2005年)
  • 小学館辞典編集部 編『図典 日本の市町村章』小学館、2007年1月10日。ISBN 978-4-09-526311-3 

関連項目

編集

外部リンク

編集