尾上壽作
日本の実業家
尾上 壽作(おのえ じゅさく、1903年(明治36年)11月28日 - 1998年(平成10年)11月6日[1])は、日本の実業家。グローリー工業社長。国栄機械製作所(現グローリー)創業者尾上作兵衛の三男[2]。グローリー名誉会長尾上壽男の父。
人物
編集兵庫県姫路市出身[2]。尾上作兵衛の三男[2]。尾上家は姫路の商家だった[2]。後分家した[3]。
姫路中学校(現姫路西高校)を卒業した[3]。1949年、株式会社国栄機械製作所の取締役社長に就任した[2]。1963年、姫路商工会議所副会頭に就任した[2]。1971年、取締役会長に就任した[2]。趣味は乗馬、弓術[3]。宗教は、浄土宗[3]。住所は兵庫県姫路市俵町[4]・同市南畝町[3]。
家族・親族
編集- 尾上家
- 父・作兵衛(1872年 - ?、旧姓・池内、兵庫県平民、実業家、政治家)[6]
- 母・りゑ(1876年 - ?、尾上又市の長女)[6]
- 姉・りつ(1894年 - ?、尾上暉一の妻)[6]
- 兄・作次(1898年 - ?、日本化学漆器社長)[6]
- 弟・仙次(1906年 - ?)[6]
- 弟・信次(1910年 - ?)[6]
- 弟・政次(1912年 - ?)[6]
- 妻・初子(1905年 - ?)[3]
- 女(1926年 - )[3]
- 男・壽男(1935年 - )[3]
- 親戚
脚注
編集- ^ 『現代物故者事典 1997~1999』(日外アソシエーツ、2000年)p.149
- ^ a b c d e f g 『保証時報』兵庫県信用保証協会、2013・9、9-11頁。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第14版 上』オ59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月8日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第4版』を27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月26日閲覧。
- ^ 『現代物故者事典 1997~1999』(日外アソシエーツ、2000年)p.150
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第13版 上』オ61頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月26日閲覧。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。