小笠原 長丕(おがさわら ながまさ、明治24年(1891年3月15日 - 昭和43年(1968年4月7日[1])は、日本の華族子爵。旧安志藩忠脩系小笠原家第13代当主。旧小倉藩小笠原家当主小笠原忠忱の二男。

兄に小笠原長幹、弟に小笠原豊、妹に津軽英麿夫人、百子(尚昌夫人)。養子に小笠原忠幸

経歴

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明治38年(1905年)、安志小笠原家12代の子爵小笠原貞孚が後嗣なく没したため、貞孚の甥にあたる長丕が養子として跡を継いだ。明治44年(1911年)3月、学習院中等科を卒業。その後、早稲田大学専門部に進学、卒業。東京府立第一中学校法政大学商業学校などの講師となる。昭和5年(1930年)に隠居し、養子忠幸(兄小笠原長幹の子)に家督を譲った。

著書

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  • 『蘭印事情』 羽田書店

脚注

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  1. ^ 平成新修旧華族家系大成

参考文献

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日本の爵位
先代
小笠原貞孚
子爵
安志小笠原家第2代
1905年 - 1930年
次代
小笠原忠幸