小番宜一
日本の政治家
小番 宜一(こつがい よしかず、1933年8月10日[1] - 2021年1月24日[2])は、日本の政治家。秋田県本荘市長(2期)、秋田県議会議員(1期)、本荘市議会議員(3期)、由利本荘市議会議員(1期)。
小番宜一 こつがい よしかず | |
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生年月日 | 1933年8月10日 |
出生地 |
日本 秋田県由利郡子吉村 (現・秋田県由利本荘市) |
没年月日 | 2021年1月24日(87歳没) |
死没地 | 日本 秋田県由利本荘市 |
出身校 | 子吉村立子吉中学校卒業 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 |
正五位 旭日小綬章 |
由利本荘市議会議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2009年4月 - 2009年10月 |
秋田県議会議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1999年 - 2003年 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1983年 - 1991年 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1971年 - ? |
来歴
編集秋田県由利郡子吉村(のち本荘市、現・由利本荘市)出身。1949年、子吉村立子吉中学校卒[1]。1971年、本荘市議に当選、3期務める[1][注釈 1]。市議会副議長も務めた[5]。
1983年本荘市長選挙
編集1983年、本荘市長選挙に立候補して、無投票の8選を目指した現職の佐藤憲一をわずか9票差で破って初当選を果たした[5]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
小番宜一 | 49 | 無所属 | 新 | 12,194票 | 50.0% | - |
佐藤憲一 | 67 | 無所属 | 現 | 12,185票 | 50.0% | - |
1987年に再選を果たした[6]。1991年には3期目を目指したが、元秋田県職員の柳田弘に敗れた[7]。1995年、秋田県議選に立候補するが落選。1999年に再び立候補して当選する[1]。秋田県議を1期務め、2003年に落選[1]。同年11月の総選挙で供応、事前運動の公職選挙法違反容疑で逮捕された[1]。同年12月、秋田簡裁で罰金50万円の略式命令が下り、公民権停止5年の処分が出た[8]。
公民権停止が明けた2009年4月の由利本荘市議会議員補欠選挙で当選[2][9]、同年10月の市議選で落選した[10]。2021年1月24日午後2時31分、敗血症のため由利本荘市内の病院で死去、87歳[2]。死没日をもって旭日小綬章追贈、正五位に叙される[11]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f 『新訂 現代政治家人名事典』212頁。
- ^ a b c “小番宜一氏が死去 元本荘市長、87歳”. 秋田魁新報. (2021年1月26日). オリジナルの2021年1月30日時点におけるアーカイブ。 2022年2月4日閲覧。
- ^ 『秋田魁年鑑 昭和51年版 26コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『秋田魁年鑑 昭和55年版 27コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『秋田魁年鑑 昭和59年版 36コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『本荘市史 年表・索引編 50コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 本荘ふるさと会報第2号 1991年3月20日2021年10月23日閲覧。
- ^ 『秋田魁新報』2003年12月3日朝刊17面。
- ^ 由利本荘市市議会議員補欠選挙(補欠選挙)-2009年04月12日投票|秋田県由利本荘市|選挙ドットコム2021年10月23日閲覧。
- ^ 由利本荘市市議会議員選挙-2009年10月25日投票|秋田県由利本荘市|選挙ドットコム2021年10月23日閲覧。
- ^ 『官報』第443号7頁 令和3年3月3日号
参考文献
編集- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。