小田原定
来歴
編集鹿児島県出身。東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1957年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1962年6月 主計局地方財政第二係長[1]。1964年5月 岐阜南税務署長。その後は防衛庁経理局会計課予算担当課員、国税庁直税部法人税課長補佐などを務める。1969年8月 主計局主計官補佐(司法・警察係主査)。1977年6月27日 防衛庁経理局会計課長。1981年6月26日 関税局総務課長。1982年6月1日 神戸税関長。1983年6月7日 大臣官房審議官(関税局担当)。1984年6月27日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。1985年6月25日 退官。同年6月 環境衛生金融公庫理事[2]。同年10月29日 肺炎により死去[2]。
略歴
編集- 1957年4月:大蔵省入省(大臣官房文書課)。
- 1962年6月:主計局地方財政第二係長[1]。
- 1964年5月:岐阜南税務署長。
- 1965年7月:防衛庁経理局会計課予算担当課員。
- 1967年7月:国税庁直税部法人税課長補佐。
- 1969年8月:主計局主計官補佐(司法・警察係主査)。
- 1971年7月:大阪税関総務部長。
- 1973年7月:国税庁長官官房総務課長補佐(総括)。
- 1974年6月26日:国土庁計画・調整局特別調整課長。
- 1976年6月25日:銀行局検査部審査課長。
- 1977年6月27日:防衛庁経理局会計課長。
- 1979年7月16日:銀行局中小金融課長。
- 1981年6月26日:関税局総務課長 兼 関税局総務課関税調査室長 兼 関税局国際第一課長 兼 関税局輸出課長。
- 1981年7月1日:関税局総務課長 兼 関税局国際第一課長 兼 関税局輸出課長。
- 1981年7月3日:関税局総務課長。
- 1982年6月1日:神戸税関長。
- 1983年6月7日:大臣官房審議官(関税局担当)。
- 1984年6月27日:大臣官房審議官(大臣官房担当)。
- 1985年6月25日:退官。
- 1985年6月:環境衛生金融公庫理事。
- 1985年10月29日:死去。