小田切英昌
小田切 英昌(おだぎり てるまさ)は、江戸時代中期の武士。徳川氏家臣。致仕号は秋山[1]。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保10年(1725年) |
死没 | 天明7年2月4日(1787年3月23日)[1] |
別名 | 甚平[1] |
戒名 | 秋山[1] |
主君 | 徳川家治 |
氏族 | 小田切氏 |
父母 |
父:小田切昌純、母:大屋正直娘 養父:小田切言昌[1] |
兄弟 | 言昌、英昌、女子[1] |
子 |
兼昌、女子 養子:昌言[1] |
経歴・人物
編集安永3年5月6日(1774年6月14日)家督を継ぐ[1]。同年8月18日(9月23日)大番に列し、同8年11月27日(1780年1月3日)辞す[1]。天明2年3月27日(1782年5月9日)致仕する[1]。