小田切 昌言(おだぎり まさのぶ)は、江戸時代中期の武士。徳川氏家臣。
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 宝暦10年(1760年) |
死没 | 不明 |
別名 | 亀吉、兵助[1] |
主君 | 徳川家治 |
氏族 | 小田切氏 |
父母 | 父:平井次直、養父:小田切英昌[1] |
兄弟 |
平井惟清、女子(惟清の妻)、中山直正、昌言[2] 兼昌、昌言、女子(英昌の子、昌言の妻)[1] |
妻 | 妻:小田切英昌の娘、後妻:森川信馮娘[1] |
子 | 女子[1] |
テンプレートを表示 |
平井次直の三男として生まれ、天明2年3月27日(1782年5月9日)、23歳の時に家督を継ぐ[1]。天明3年12月21日(1784年1月13日)大番となる[1]。