小山義己
小山 義己(こやま よしみ、1893年(明治26年)2月4日[1] - 1977年(昭和52年)2月15日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
小山 義己 | |
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生誕 |
1893年2月4日 日本 鳥取県 |
死没 | 1977年2月15日(84歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1893年(明治26年)に鳥取県で生まれた[1]。陸軍士官学校第27期卒業[2]。1940年(昭和15年)3月9日に陸軍歩兵大佐進級と同時に陸軍歩兵学校教官に着任[3]。同年8月1日に陸軍通信学校教導隊長に転じ[3]、1941年(昭和16年)10月に歩兵第40連隊長(関東軍・第20軍・第25師団)に就任した[1][3]。
1943年(昭和18年)11月に東京陸軍少年通信兵学校長に就任し[3]、1945年(昭和20年)3月1日に陸軍少将に進級した[3]。同年2月1日に湖南省郴県で編制された独立混成第87旅団[4](支那派遣軍・第6方面軍・第20軍)の旅団長に3月9日に就任[1]。郴県に駐屯し終戦を迎えた[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977。