小塚和季

日本のサッカー選手

小塚 和季(こづか かずき、1994年8月2日 - )は、新潟県見附市出身のプロサッカー選手Kリーグ2ソウルイーランドFC所属。ポジションはミッドフィールダー。マネジメント会社はエースポーツクリエイション[2]

小塚 和季
名前
愛称 コヅ、カズキ[1]
カタカナ コヅカ カズキ
ラテン文字 KOZUKA Kazuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1994-08-02) 1994年8月2日(30歳)
出身地 新潟県見附市
身長 173cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム 大韓民国の旗 ソウルイーランドFC
ポジション MF
背番号 81
利き足 右足[1]
ユース
2001-2007 日本の旗 見附FC
2007-2009 日本の旗 長岡ジュニアユースFC
2010-2012 日本の旗 帝京長岡高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2013-2017 日本の旗 アルビレックス新潟 8 (0)
2014 日本の旗 Jリーグ・U-22選抜 1 (0)
2014-2015 日本の旗 レノファ山口FC (loan) 46 (8)
2017 日本の旗 レノファ山口FC (loan) 39 (8)
2018 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府 31 (6)
2019-2020 日本の旗 大分トリニータ 41 (2)
2021-2023 日本の旗 川崎フロンターレ 22 (0)
2023-2024 大韓民国の旗 水原三星ブルーウィングス 27 (1)
2024- 大韓民国の旗 ソウルイーランドFC
通算 215 (25)
代表歴
2012  日本U-18 2 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年6月21日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

Kリーグ時代の登録名はカズキハングル: 카즈키)[3]

来歴

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プロ入り前

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地元のサッカークラブである見附FCのコーチを務めていた父親の影響でサッカーを始める[1]アルビレックス新潟のJ1昇格を見て「地元で活躍したい」と夢を持った[4]。12歳の頃には「サッカーの強い高校に入り、Jリーグへ行き、日本代表になる」と夢を語っていた[5]。中学時に所属していた長岡JYFCでは、フットサルの全国大会で優勝した経験を持つ[6]。この頃共に選抜チームに選ばれ、後にチームメートとなる川口尚紀を、それ以来ずっとライバル視していた、と後に語っている[1][7]帝京長岡高校2年次に北信越プリンスリーグ1部で得点王を獲得[8]。3年次にはU-18日本代表スロバキア遠征に参加した[5] ほか、第91回全国選手権に出場し、新潟県勢28年ぶりとなるベスト8に進出した。3回戦鹿児島城西高校戦では、遊び心溢れるプレーで3得点に絡み、この試合のマン・オブ・ザ・マッチに選出されている[9]

プロ入り後

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帝京長岡高校在学中の2012年にアルビレックス新潟から春季キャンプ参加の招待を受け[6]、同年4月に特別指定選手へ登録。背番号34を与えられた[10]。早い段階から周囲の評価は高く、大井健太郎三門雄大は小塚を「天才」と呼び[11]内田潤は「新潟から出してはいけない」と語っていた[12] という。同年11月に翌年入団の仮契約を結び、2013年より正式に新潟へ入団した[13]。加入後は主にボランチを務めていたが、「最初は何をしても上手く行かなかった」と1年目は公式戦出場無しとプロの壁に当たった[14]

2年目の2014年7月にJFL(当時)所属のレノファ山口FC期限付き移籍[15]。左サイドハーフやフォワードなど攻撃的なポジションを多くこなし[16]、山口のJ3リーグ参入に貢献。翌2015シーズンも山口への期限付き移籍期間を延長したが、監督の上野展裕の指示でこの年はボランチへコンバート[16]。出場停止の3試合を除く33試合に出場を果たすなど、中心選手として攻撃を牽引し[2]山口のJ3優勝・J2昇格に貢献した。

「本来自分の持っている感覚を取り戻せた」と自信を持って[14]2016年、新潟に復帰をしたが[17] 、同年はリーグ戦6試合・カップ戦5試合の出場に留まった。出場機会を求め、2017年シーズンに山口へ再度期限付き移籍[18]。シーズン途中で監督が上野からカルロス・マジョールへ交代するなど難しいシーズンを送ったが、チームの攻撃のキーマンとして39試合に出場。チーム最多の8得点を挙げた他、6アシストを記録するなどオフェンス面でハイパフォーマンスを発揮した[19]。12月にはドイツ2部フォルトゥナ・デュッセルドルフの練習に5日間参加した[19]

2017年シーズンを以て新潟を退団し(山口への期限付き移籍も満了)、2018年はヴァンフォーレ甲府に完全移籍[20]。シーズン開始時は吉田達磨、途中からは上野展裕[21] と共にかつて指導を受けた指揮官の元で、ベテラン頼みの体質が改善されたチームの中心の一人としてプレーをした[22]

2019年、J1に昇格した大分トリニータに完全移籍[23]。開幕からスタメンの座を勝ち取ると、リーグ戦33試合に出場。主に3-4-2-1システムの2シャドーの一角として、藤本憲明オナイウ阿道らFW陣を活かす中継点として役目を果たした[24]。同年オフには浦和レッズから獲得オファーを受けたと報道されたが、大分に残留した[25]

2020年も主力の一角として期待されたが、監督の起用方法と自身のコンディション不良が重なり、出場機会を減らし、リーグ戦8試合の出場に留まった。

2021年、川崎フロンターレに完全移籍[26]。シーズン序盤は出番は無かったものの、4月14日のアビスパ福岡戦で初出場。ACLの北京FC戦にて初ゴールを記録。しかし自身でも課題と上げている守備の部分の不安定さもあり、定位置の確保とはならなかった。リーグ戦5試合の出場でプレー時間も72分に留まった。

2022年、前年からの課題であった守備面の改善が見られてきた事により、ベンチ入りや出場機会が増えていった。しかし5月21日のサガン鳥栖戦で先発した試合でハーフタイムで退くと、出場機会が激減。度々ベンチ入りするものの出場機会は訪れず、次に出場したのは10月8日の清水エスパルス戦であった。2022シーズンも定位置確保とはならなかったが、昨シーズンから出場試合と時間を伸ばし、リーグ戦12試合の出場でプレー時間は276分の出場となった。

2023年、背番号を17番から49番に変更した。

2023年7月6日、水原三星ブルーウィングスへの完全移籍が発表された[27]。水原三星ブルーウィングスでは16試合1ゴール2アシストを記録するもチームは史上初の降格となってしまった。

2024年6月21日、Kリーグ2部ソウルイーランドFCに完全移籍が発表された。

プレースタイル

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  • 2015年に山口でダブルボランチとしてペアを組んだ庄司悦大からは「相手の逆を突くのがうまいし、それでいて味方へのパスは受けやすいところに出す」とパサーとしての技術の高さを評価する一方で「プレーにちょっと波がある。その波さえなくなれば、相当なレベルの選手になるだろう」とも指摘している[28]
  • 一方で、ヘディングは得意ではなく、川口尚紀とのインタビューで川口のクロスから決めたいと話した際に川口に「ないじゃん」と冗談混じりに返されていた[29]。しかし、2019年の第10節・サガン鳥栖戦ではJ1初得点をヘディングで記録した[30]

人物・エピソード

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  • 「数字と言えば14番。ロッカーとかでもいつも見てしまいます」と語るなど、14番を好きな背番号と公言している[31]
  • 実弟はヴィアティン三重所属の小塚祐基[32]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2013 新潟 14 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2014 2 0 1 0 - 3 0
山口 JFL 13 2 - - 13 2
2015 J3 33 6 - 0 0 33 6
2016 新潟 41 J1 6 0 5 1 2 0 13 1
2017 山口 40 J2 39 8 - 0 0 39 8
2018 甲府 19 31 6 3 2 0 0 34 8
2019 大分 14 J1 33 1 1 0 2 0 36 1
2020 8 1 2 1 - 10 2
2021 川崎 17 5 0 1 0 3 0 9 0
2022 12 0 0 0 2 1 14 1
2023 49 5 0 4 0 1 0 10 0
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2023 水原 81 K1
通算 日本 J1 71 2 14 2 10 1 95 5
日本 J2 70 14 3 2 0 0 73 16
日本 J3 33 6 - 0 0 33 6
日本 JFL 13 2 - - 13 2
韓国 K1
総通算 187 24 17 4 10 1 214 29
  • 2012年 特別指定選手としての公式戦出場は無し(背番号34)

その他の公式戦

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2014 J-22 - J3 1 0 1 0
通算 日本 J3 1 0 1 0
総通算 1 0 1 0
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2021 川崎 17 3 1
2022 3 0
通算 AFC 6 1

タイトル

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クラブ

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レノファ山口FC
川崎フロンターレ

個人

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代表歴

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脚注

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  1. ^ a b c d MF/14 小塚 和季”. レノファ山口FC (2015年). 2019年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月10日閲覧。
  2. ^ a b 小塚和季 【MF】”. エースポーツクリエイション. 2019年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月31日閲覧。
  3. ^ 카즈키”. K League. 2023年11月4日閲覧。
  4. ^ 新潟日報 2013年1月4日 18面
  5. ^ a b 現実になりつつある"夢"サッカーU-18日本代表 小塚和季さん」(PDF)『広報見附』第622号、見附市役所新潟県、2012年6月8日、24頁。 
  6. ^ a b NPO法人 長岡ジュニアユースフットボールクラブ | お知らせ
  7. ^ 『アルビプレビュー開幕編2013』ニューズ・ライン、新潟県、2013年、30-31頁。ASIN B00BAM7RGM 
  8. ^ スケジュール・試合結果|JFAプリンスリーグ2011 北信越1部|大会・試合|日本サッカー協会
  9. ^ [MOM739]帝京長岡MF小塚和季(3年) 3点演出!鹿児島城西沈めた技巧”. ゲキサカ. 講談社 (2013年1月4日). 2015年12月12日閲覧。
  10. ^ 帝京長岡高校 小塚 和季選手 JFA・Jリーグ特別指定選手に承認 アルビレックス新潟ユース 本田 渉選手 トップチーム登録(2種登録)』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2012年4月19日http://www.albirex.co.jp/news/top_team/353922015年12月12日閲覧 
  11. ^ 『アルビプレビュー開幕編特別号』p.12
  12. ^ アルビレックス新潟モバイルサイト 広報ダイアリー 2012年11月12日
  13. ^ 小塚 和季選手(帝京長岡高)来季新加入内定のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2012年11月12日http://www.albirex.co.jp/news/club/373942015年12月12日閲覧 
  14. ^ a b 好調トリニータを繋ぐMF小塚和季。イニエスタや中村憲剛のように。(4ページ目)”. Sports Graphic Number. 文藝春秋 (2019年7月16日). 2019年12月18日閲覧。
  15. ^ 小塚 和季選手 レノファ山口へ期限付き移籍のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2014年7月8日http://www.albirex.co.jp/news/top_team/423432015年12月12日閲覧 
  16. ^ a b 宇都宮徹壱 (2015年12月1日). “首位独走と突然の失速のはざまで J2・J3漫遊記 レノファ山口<前編>”. スポーツナビ. Yahoo! JAPAN. 2015年12月12日閲覧。
  17. ^ “新潟 MF小塚がJ3山口から復帰 1年半レンタルで2度の昇格を経験”. スポーツニッポン. (2015年12月11日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/12/11/kiji/K20151211011668360.html 2015年12月12日閲覧。 
  18. ^ “【山口】新潟からMF小塚を期限付き移籍で獲得「維新公園を盛り上げたい」”. スポーツ報知. (2017年1月6日). https://web.archive.org/web/20170107013814/http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20170106-OHT1T50143.html 2017年1月6日閲覧。 
  19. ^ a b 「レベルは高かった…」甲府加入の小塚和季が独2部の練習参加で痛感した彼我の違い”. サッカーダイジェスト. 日本スポーツ企画出版社 (2018年1月15日). 2019年1月10日閲覧。
  20. ^ 小塚 和季選手 ヴァンフォーレ甲府に完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2017年12月28日http://www.albirex.co.jp/news/top_team/538522017年12月28日閲覧 
  21. ^ 16位甲府、監督交代を決断…新指揮官は山口などを率いた上野展裕氏”. サッカーキング (2018年4月30日). 2018年12月26日閲覧。
  22. ^ 【ライターコラムfrom甲府】歯車のズレ、過密日程…来季J1復帰へ過酷な1年で得たものとは?”. サッカーキング (2018年11月24日). 2018年12月26日閲覧。
  23. ^ 小塚和季選手 ヴァンフォーレ甲府より完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)大分トリニータ、2018年12月26日https://www.oita-trinita.co.jp/news/20181248105/2018年12月26日閲覧 
  24. ^ 好調トリニータを繋ぐMF小塚和季。イニエスタや中村憲剛のように。(1ページ目)”. Sports Graphic Number. 文藝春秋 (2019年7月16日). 2019年12月18日閲覧。
  25. ^ 【大分】小塚和季が契約更新。浦和のオファー断る「チームの勝利に貢献します」”. サカノワ (2020年1月4日). 2020年1月4日閲覧。
  26. ^ 小塚和季選手加入のお知らせ』(プレスリリース)川崎フロンターレ、2021年1月4日https://www.frontale.co.jp/info/2021/0104_5.html2021年1月4日閲覧 
  27. ^ 小塚和季選手 移籍のお知らせ』(プレスリリース)川崎フロンターレ、2023年7月6日https://www.frontale.co.jp/info/2023/0706_1.html2023年7月6日閲覧 
  28. ^ フロムワン(編)『Jリーグサッカーキング』第9巻第17号、朝日新聞出版、2015年9月24日、31頁、2015年12月12日閲覧 
  29. ^ 『アルビプレビュー開幕編2013』p.32
  30. ^ MF 14 小塚和季「あまりヘディングするタイプではないのだが」”. 大分トリニータ (2019年5月5日). 2019年5月10日閲覧。
  31. ^ 好調トリニータを繋ぐMF小塚和季。イニエスタや中村憲剛のように。(5ページ目)”. Sports Graphic Number. 文藝春秋 (2019年7月16日). 2019年12月18日閲覧。
  32. ^ <選手権フォーカス>【帝京長岡】完敗を糧に成長 タレント揃う、一体感を掴み上位へ - サッカーキング、2016年12月27日(2021年2月18日閲覧)
  33. ^ エルゴラJリーグ選手名鑑2015より
  34. ^ 2015明治安田生命J3リーグ第2節山口vs.Jリーグ・U-22選抜戦結果 - 2015年3月21日 Jリーグ

関連項目

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外部リンク

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