小出英益
小出 英益(こいで ふさえき)は、江戸時代前期の大名。但馬国出石藩7代藩主。官位は従五位下大和守。出石藩小出家6代。
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 寛文7年2月26日(1667年3月20日) |
死没 | 元禄5年10月10日(1692年11月17日) |
改名 | 鶴松、英益 |
戒名 | 浮岳紹貞集雲院 |
墓所 | 東京都港区南麻布の天真寺 |
官位 | 従五位下大和守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 但馬出石藩主 |
氏族 | 小出氏 |
父母 | 父∶小出英安、母∶内藤頼長娘 |
兄弟 | 英益、英道 |
妻 | 安藤重博娘、立花鑑虎娘 |
子 |
なし 養子英長 |
略歴
編集6代藩主小出英安の長男として誕生。幼名は鶴松。
元禄4年12月26日(1692年)に父が死去したため、翌年3月11日に家督を継いだ。しかし元禄5年(1692年)10月10日に26歳で死去した。死後、家督は養嗣子の英長が継いだ。法号は浮岳紹貞集雲院。墓所は東京都港区南麻布の天真寺。