寿々木米若

日本の浪曲師

寿々木 米若(すずき よねわか、本名:野上 松平〈のがみ まつへい〉、1899年4月5日 - 1979年12月29日)は、昭和時代の浪曲師。新潟県中蒲原郡曽野木村大字曽川(現、新潟市江南区)出身。

概要

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叔父は浪曲師の初代寿々木亭米造。農家の一家に育つ。1920年に上京、父の紹介で2代目寿々木亭米造に入門、寿々木亭米若(のちに寿々木米若)の名で前座ではなく二つ目からスタートした。1923年に真打昇進し一門を離れ独立。1928年に早くも渡米し巡業する。新作物を得意とし[1]佐渡おけさにヒントを得て創作し自ら口演したSPレコード佐渡情話」が大ヒット(約75万枚[2])。ビクターテイチクといったレコード会社を跨いだ形で吹き込みされた演目であり、1930年代にレコードとして最も売れた浪花節の一つである[3]

〽佐渡へ 佐渡へと 草木はなびく

の哀調を帯びた外題付けは、有名になった。

哀切な語り口調と関西節の美声が特長的である。俳句も良くし、高浜虚子に師事、多くの作品を残している。長年日本浪曲協会会長も務めた。熱海に建てた旅館「よねわか荘」を別宅としたが、巡業続きで帰る暇がほとんど無いほどだったという。

代表的な演目

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索引

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204.227.243#246#261#273#276#283#288#289#302#309#409.410.413.422.426.439#447#448#449#458下26#28#34#38#41#42#43#52#54#57#59#60#61#62#70#82#84#87#100#110#113#115#120#121#126

受賞歴

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脚注

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  1. ^ 特に同時代を意識した新作に積極的に取り組んだp.84
  2. ^ 「人間模様・喜劇人たち」『新評』1978年4月号、155頁。NDLJP:1808097/79
  3. ^ 真鍋p.78

参考文献

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  • 真鍋昌賢『浪花節 流動する語り芸 演者と聴衆の近代』せりか書房、2017年3月。ISBN 9784796703635 3章、4章、6章
  • 倉田喜弘/林淑姫『近代日本芸能年表』上下
  • 唯二郎『実録浪曲史』
  • 芝清之『浪花節 : 東京市内・寄席名及び出演者一覧 』月刊浪曲編集部、1986年。JP番号 87007797 ※索引無し

外部リンク

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