富山縣護國神社
富山縣護國神社(とやまけんごこくじんじゃ)は、富山県富山市にある神社(護国神社)である。富山県出身の明治維新から大東亜戦争(太平洋戦争)までの戦没者を祭神とする。祭神は28,679柱である。
富山縣護國神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 富山県富山市磯部町1-1 |
位置 | 北緯36度41分23.3秒 東経137度12分5.7秒 / 北緯36.689806度 東経137.201583度座標: 北緯36度41分23.3秒 東経137度12分5.7秒 / 北緯36.689806度 東経137.201583度 |
主祭神 | 富山県出身の戦没者 |
社格等 | 内務大臣指定護国神社・別表神社 |
創建 | 大正2年(1913年) |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 4月25日・10月5日 |
地図 |
歴史
編集明治45年(大正元年・1912年)3月に富山縣招魂社として設立が認められ、富山県知事が建設委員長となって同年1月より富山県の公園(3,500坪、富士山跡を包有している)にて工事着手、同年9月25日に富山市に設立許可が出され[1]、翌大正2年(1913年)8月に竣工[2]、同年9月18日鎮座式[3]、10月4日17時より神殿清祓及び上棟式[2]、鎮座が、翌10月5日に大祭が行われた[2]。昭和14年(1939年)4月1日、全国の招魂社が護國神社へ改称されるのに合わせて、富山縣護國神社に改称した[4]。
昭和20年(1945年)の富山大空襲によって、手水舎などごく一部の建物を除いて社殿を焼失した[3]。御霊代、御霊霊簿は磯部富士に造られた防空壕に遷され難を逃れ、同年8月4日に氷見の上田神社に遷座し[5]、同年9月26日の仮社殿竣工[6]、昭和21年(1946年)10月26日の複座を経て、昭和22年(1947年)4月13日、社号を『富山県鎮霊神社』と改称し、同年10月21日には仮殿が竣工した。昭和26年(1951年)10月24日(一部資料では昭和21年〔1946年〕10月25日[7])には社号を『富山縣護国神社』に復称した[3]。社殿は昭和28年(1953年)1月10日に着工し[3][8]、昭和29年(1954年)10月20日に再建された[9](同年10月23日に復興したとの記載もある[3])。
昭和41年(1966年)7月1日には神社本庁別表神社に加列している[3]。昭和43年(1968年)には、明治百年記念庭園(雛形花壇)が境内に完成し、同年10月24日に竣工式が挙行された[10]。昭和52年(1977年)9月22日には富山縣護國神社崇敬会が発足し、昭和56年(1981年)10月12日には、新社務所等が記念事業として完成した[3]。
現在の大拝殿は平成3年(1991年)10月19日に竣工したものである。また、平成7年(1995年)12月9日には、終戦五十周年記念『遠芳館』が竣工している[3]。
祭事・行事
編集境内
編集- 伊佐雄志神社
- 富山大空襲による戰災殉難者、治安の維持と公共の災害防護その他安定のため殉職せられた自衛官、警察官、消防團員、消防署員、郵便局員及び地方功労者を祭神とする。戦災により焼失した社殿を、1975(昭和50)年に富山縣護國神社終戦30周年記念事業として造営。8月1日に竣工した。平成22年9月に現在の伊佐雄志神社に改称。
- 遺芳館
- 戰歿英靈の遺書等を展示している。
- 富山市相撲場
- 磯部富士(解体済)
- 元禄年間、富山藩主前田正甫が造成した富士山(を模した築山)が、護国神社設置後、神社境内に組み入れられて存続した。富士山は磯部町、鹿島町、鉄砲町、七軒町に及ぶ大型のもので、都市計画上にも支障を来すことから1957年3月13日に除去されている[11]。
交通アクセス
編集脚注
編集- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第1巻』(2000年5月20日、北日本新聞社発行)78頁。
- ^ a b c 『富山市史 第三巻』(1960年4月15日、富山市役所発行)222頁。
- ^ a b c d e f g h 『全國護國神社會五十年史』(1997年3月1日、全國護國神社會発行)256頁。
- ^ 『富山市史 第三巻』(1960年4月15日、富山市役所発行)849 - 850頁。
- ^ 『富山県神社誌』(1983年11月10日、富山県神社庁編集・発行)12頁。
- ^ 『富山市史 第三巻』(1960年4月15日、富山市役所発行)23 - 24頁。
- ^ 『富山市史年表』(1966年12月20日、富山市役所発行)154頁。
- ^ 『富山市史 第三巻』(1960年4月15日、富山市役所発行)579 - 580頁。
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)84頁。
- ^ 『富山市史 第五巻』(1980年3月10日、富山市役所発行)50ページ。
- ^ 富山市史編纂委員会編 『富山市史 第三巻』富山市、1960年、p.679