本照寺 (高槻市)

大阪府高槻市にある浄土真宗本願寺派の寺院
富寿栄山から転送)

本照寺(ほんしょうじ)は、大阪府高槻市富田町(とんだちょう)にある浄土真宗本願寺派仏教寺院。富寿栄山(ふすえざん)あるいは富山と号し、富田御坊(とんだごぼう)ともいう。 寺の東側に山門がある。また、かつて周囲に寺内町を形成し、現在もその町並みをとどめている。

本照寺
山門
山門と石橋
所在地 大阪府高槻市富田町4-4-27
位置 北緯34度49分51.6秒 東経135度35分39.3秒 / 北緯34.831000度 東経135.594250度 / 34.831000; 135.594250座標: 北緯34度49分51.6秒 東経135度35分39.3秒 / 北緯34.831000度 東経135.594250度 / 34.831000; 135.594250
山号 富寿栄山
富山
宗旨 浄土真宗
宗派 浄土真宗本願寺派
寺格 一般寺院、元別格別院
本尊 阿弥陀如来
創建年 1427年応永34年)
開基 存如
正式名 富寿栄山本照寺
富山本照寺
別称 富田御坊
文化財 本堂、山門・附石橋、東門、鐘楼(市指定有形文化財)
法人番号 6120905002214 ウィキデータを編集
本照寺の位置(大阪府内)
本照寺
本照寺
本照寺 (大阪府)
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本堂

歴史

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  • 1646年正保3年)、良教(西本願寺12世准如の子)が入り、本願寺の「本」の字をもらって現在の本照寺と改める。
  • 本山より「富田御坊」の扁額を与えられ、教行寺と共に北摂の西本願寺系寺院を取り纏める中本山となる。
  • 特に本照寺はいわゆる『大和』域内の被差別部落寺院(穢多寺と呼ばれた)の統括を任され、被差別民の門徒にとっての実質的な本山として機能した(当時、被差別民は河原門徒として差別され、本山の出入りを許されなかった)。
  • 1796年寛政8年)刊行の『摂津名所図会』に境内の描写がある。
  • 歴代住持は明治時代苗字必称より親鸞以来のゆかりと、かつての富田荘代官でもあった日野氏を名乗っている。

文化財

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市指定有形文化財

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  • 本堂 - 1798年(寛政10年)再建、十間四面、1990年(平成2年)4月13日指定
  • 山門 附石橋 - 2005年(平成17年)6月14日指定
  • 東門 - 江戸時代中期築、2005年(平成17年)6月14日指定
  • 鐘楼 - 江戸時代中期築、2005年(平成17年)6月14日指定

[1]

 
「富寿栄の松」の石碑

富寿栄の松

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  • かつて本照寺の境内には、国の天然記念物に指定されていた富寿栄(ふすえ)の松というクロマツがあった。樹高は27mと低いが、東西40m、南北30mにわたって手が届く高さに広々と枝を広げた、樹齢およそ700年の巨木であった。しかし1968年昭和43年)頃からマツ材線虫病によって枯れはじめ、1971年(昭和46年)3月に天然記念物の指定を解除されたのちに枯れ死している。現在は根株のみが境内に保存されており、根に近い幹は本堂内で巨大な火鉢として活用されている。

出典

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  1. ^ 指定文化財/高槻市ホームページ(2017年3月15日閲覧)

関連事項

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外部リンク

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