宮幡 靖(みやはた やすし、1900年明治33年)8月22日[1][2] - 1959年昭和34年)5月13日[3])は、日本の政治家計理士

宮幡靖
みやはた やすし
生年月日 1900年8月22日
出生地 日本の旗 日本 静岡県
没年月日 (1959-05-13) 1959年5月13日(58歳没)
出身校 明治大学商学部卒業
前職 計理士
税理士
所属政党日本自由党→)
民主自由党→)
自由党

選挙区 旧静岡2区
当選回数 3回
在任期間 1947年4月25日 - 1953年3月14日


鷹岡町議会議員
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経歴

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静岡県生まれ[2]1918年大正7年)、静岡県立静岡中学校卒業[4]。中学時代は野球部(現在の静岡高校野球部)に在籍した[5][注釈 1]1923年(大正12年)に明治大学商学部卒業後[1][2][3]、富士身延鉄道(現・身延線)に入社後[1][2]1929年(昭和4年)に計理士・税理士となり、静岡県計理士会長、名古屋地方税務代理士会長等を歴任[2][3]

鷹岡町(現・富士市)議、同町長を経て[3]1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙で静岡県から立候補したが次点で落選[7]1947年(昭和22年)、第23回衆議院議員総選挙静岡2区から衆議院議員に当選して以降、3回連続当選[8]第3次吉田内閣で通商産業政務次官を務めた他、民主自由党総務、自由党産業復興計画委員長、自由党総務などを歴任した。1953年(昭和28年)の第26回衆議院議員総選挙で落選[8]1955年(昭和30年)の第27回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。

このほか日本計理士会長[1]、富士特殊工業(株)社長、日下部パルプ(株)監査役などを務めた[1][3]

出典

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注釈

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  1. ^ 1916年(大正5年)の静中野球部に、山家亨、キャプテン田中三郎守屋富次郎、宮幡、ピッチャー下山定則、下山の弟、常夫ら(旧制中学は5年制)[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『大衆人事録 第19版 東日本篇』533頁。
  2. ^ a b c d e 大衆人事録 第15版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』632頁。
  4. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 50、51頁。
  5. ^ 高校野球名門校シリーズ8『静岡高校野球部 誇り高き文武両道 Since1896』85ページ。
  6. ^ 『静中静高野球部史』 73,74ページ。 昭和39年発行。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』147頁。
  8. ^ a b 『朝日選挙大観』508頁。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第19版 東日本篇』帝国秘密探偵社、1956年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 『議会制度百年史: 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1999年。 
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。