宮崎 (川崎市)
宮崎(みやざき)は、神奈川県川崎市宮前区の町名。現行行政地名は宮崎1丁目から宮崎6丁目と大字宮崎。住居表示はいずれも未実施区域[5]。面積は1.269km²[2]。
宮崎 | |
---|---|
町丁・大字 | |
宮崎台駅前 | |
北緯35度35分36秒 東経139度35分11秒 / 北緯35.593269度 東経139.586281度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川 |
市町村 | 川崎市 |
行政区 | 宮前区 |
人口情報(2024年(令和6年)6月30日現在[1]) | |
人口 | 24,107 人 |
世帯数 | 11,954 世帯 |
面積([2]) | |
1.269656101 km² | |
人口密度 | 18987.03 人/km² |
設置日 | 1951年(昭和26年) |
郵便番号 | 216-0033[3] |
市外局番 | 044(川崎MA)[4] |
ナンバープレート | 川崎 |
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地理
編集宮前区の北東端にあり、北東側で高津区に接する。旧宮前村(みやさきむら)の中心部に位置するが、東急田園都市線開通前は交通の不便さから、のどかな農耕地帯が残っていたという。東急田園都市線の開通後、急速に宅地化し、現在は一戸建て住宅やマンションの立ち並ぶ住宅街となっている。
馬絹(まぎぬ)で矢上川に合流する、矢上川の支流の小川を谷として、その両側の斜面及び頂上の台地部分によって構成される。そのため、他の宮前区内と同様に坂が非常に多い。主な坂としては、
などがある。
近年日本電気(NEC)中央研究所のあった敷地が、「宮崎さくらの丘公園」という名で住宅地として再開発されている。
面積
編集面積は以下の通りである[2]。
大字・丁目 | 面積(km²) |
---|---|
宮崎 | 0.320 |
宮崎1丁目 | 0.152 |
宮崎2丁目 | 0.193 |
宮崎3丁目 | 0.208 |
宮崎4丁目 | 0.081 |
宮崎5丁目 | 0.134 |
宮崎6丁目 | 0.182 |
計 | 1.269 |
地価
編集住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、宮崎1丁目12番34外の地点で40万6000円/m²[6]、宮崎5丁目12番29の地点で34万1000円/m²[7]、宮崎字三ッ又271番2の地点で35万円/m²[8]となっている。
歴史
編集この地域には旧来「宮崎」の名は存在しなかった。宮崎の名ができたのは、1951(昭和26)年。梶ケ谷・馬絹・土橋・有馬のうち軍用地として接収されていた地が農地解放された際、新たな大字として成立した[9]。このとき、後述のように「宮崎小学校」から「宮崎」という名が付けられた。その後、いくつかの町域が分離されるなどもあり、残りが宮崎及び宮崎1丁目から6丁目となって現在に至っている。また、軍用地に接収された時代は住民はいなかったが、その前後はのどかな農耕地帯であり、自然を多く残していたようである。劇的な変化が訪れたのは、1966(昭和41)年、東急田園都市線が開通し、東京のベッドタウンとして急速に都市化、人口が増加し、現在の住宅地が形成される。
地名の由来
編集宮崎の名は、旧宮前村(みやさきむら)に由来する。 1889年(明治22年)に、野川・馬絹・土橋・梶ヶ谷・有馬の5村と溝口村の飛地が合併した。この時、新村の村名は、村の中央に近い、女体権現社(現:馬絹神社)の前にある「宮ノ前」(みやのまえ)地区に置かれたことから、「宮前村(みやさきむら)」と名付けられた。その後1938年(昭和13年)、川崎市に宮前村が吸収された際、宮前村の名は消滅した。また、この時に村(馬絹)にあった「尋常高等宮前小学校」は、川崎市内に既に在った「尋常川崎宮前小学校」(現川崎市立宮前小学校、川崎区宮前町)と名称が重なるため、「川崎市宮崎尋常高等小学校」と名を改められた。(その後、1941年(昭和16年)に「川崎市宮崎国民学校」、1947年(昭和22年)に「川崎市立宮崎小学校」と改称)。1951年(昭和26年)、太平洋戦争中接収を受けたこの地域が農地解放時に新地域として成立する際に、当地に宮前村があったことにちなみ、「宮崎小学校」の名から「宮崎」という名が付けられた。
年表
編集- 1889(明治22)年4月1日 - 町村制施行により、橘樹郡宮前(みやさき)村の一部となる。
- 1938(昭和13)年10月1日 - 宮前村が川崎市に編入される。
- 1951(昭和26)年 - 農地解放された馬絹などの一部が「宮崎」として成立。
- 1966(昭和41)年 - 東急田園都市線開通、宮崎台駅開業。一部が鷺沼に分離される[9]。
- 1969(昭和44)年 - 一部が梶ケ谷に編入される。
- 1971(昭和46)年 - 一部が神木に分離される[9]。
- 1972(昭和47)年 - 宮崎土地区画整理事業[10]により、宮崎の一部をもって宮崎1丁目~6丁目、宮前平1丁目~3丁目、土橋1丁目が成立[11]。
- 1972(昭和47)年4月1日 - 川崎市の政令指定都市移行に伴い、高津区宮崎ほかとなる。
- 1975(昭和50)年 - 一部が小台に分離される[9]。
- 1976(昭和51)年 - 一部が土橋に編入される。
- 1982(昭和57)年7月1日 - 宮前区分区により宮前区宮崎ほかとなる。
催事
編集- 宮崎さくら祭り - 毎年4月第1日曜日、宮崎台駅南口・駅前桜通り一帯
世帯数と人口
編集2024年(令和6年)6月30日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字・丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
宮崎 | 2,832世帯 | 5,476人 |
宮崎1丁目 | 1,908世帯 | 3,654人 |
宮崎2丁目 | 2,621世帯 | 4,760人 |
宮崎3丁目 | 2,131世帯 | 4,535人 |
宮崎4丁目 | 409世帯 | 1,165人 |
宮崎5丁目 | 1,022世帯 | 2,063人 |
宮崎6丁目 | 1,031世帯 | 2,454人 |
計 | 11,954世帯 | 24,107人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[12] | 19,359
|
2000年(平成12年)[13] | 19,688
|
2005年(平成17年)[14] | 20,793
|
2010年(平成22年)[15] | 21,671
|
2015年(平成27年)[16] | 21,944
|
2020年(令和2年)[17] | 23,663
|
世帯数の変遷
編集国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[12] | 7,924
|
2000年(平成12年)[13] | 8,607
|
2005年(平成17年)[14] | 9,267
|
2010年(平成22年)[15] | 10,091
|
2015年(平成27年)[16] | 10,002
|
2020年(令和2年)[17] | 11,253
|
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)[18][19]。
大字・丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
宮崎 | 67~100番 | 川崎市立梶ヶ谷小学校 | 川崎市立宮崎中学校 |
101~180番 251~299番 |
川崎市立西梶ヶ谷小学校 | ||
604~610番 646~674番 693~697番 |
川崎市立宮崎台小学校 | 川崎市立宮前平中学校 | |
宮崎1丁目 | 全域 | ||
宮崎2丁目 | 全域 | ||
宮崎3丁目 | 全域 | ||
宮崎4丁目 | 全域 | ||
宮崎5丁目 | 全域 | ||
宮崎6丁目 | 全域 | 川崎市立富士見台小学校 |
事業所
編集2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[20]。
大字・丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
宮崎 | 61事業所 | 690人 |
宮崎1丁目 | 55事業所 | 356人 |
宮崎2丁目 | 206事業所 | 3,070人 |
宮崎3丁目 | 55事業所 | 372人 |
宮崎4丁目 | 7事業所 | 131人 |
宮崎5丁目 | 28事業所 | 226人 |
宮崎6丁目 | 42事業所 | 360人 |
計 | 454事業所 | 5,205人 |
事業者数の変遷
編集経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[21] | 402
|
2021年(令和3年)[20] | 454
|
従業員数の変遷
編集経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[21] | 4,945
|
2021年(令和3年)[20] | 5,205
|
交通
編集鉄道
編集バス
編集この節の加筆が望まれています。 |
道路
編集施設
編集- セレサ川崎農業協同組合(JAセレサ川崎) 本店
- 電車とバスの博物館
- 川崎市立宮崎小学校
- 川崎市立宮崎台小学校
- 川崎市立宮崎中学校
その他
編集日本郵便
編集警察
編集町内の警察の管轄区域は以下の通りである[23]。
大字・丁目 | 番・番地等 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|---|
宮崎 | 67~610番地 | 宮前警察署 | 馬絹交番 |
その他 | 神木交番 | ||
宮崎1丁目 | 全域 | 馬絹交番 | |
宮崎2丁目 | 全域 | ||
宮崎3丁目 | 全域 | ||
宮崎4丁目 | 全域 | 神木交番 | |
宮崎5丁目 | 全域 | 宮前平駅前交番 | |
宮崎6丁目 | 全域 |
関連項目
編集脚注
編集- ^ a b “令和6年町丁別世帯数・人口 6月末日現在” (xls). 川崎市 (2024年7月25日). 2024年8月16日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ a b c “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)の数値」令和2年国勢調査)” (XLS). 川崎市 (2024年1月25日). 2024年3月20日閲覧。 “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”
- ^ a b “宮崎の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月11日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “区別町名一覧表(宮前区)”. 川崎市 (2022年1月28日). 2022年4月10日閲覧。
- ^ “不動産情報ライブラリ 国土交通省地価公示(標準地) 川崎宮前-5”. 国土交通省. 2024年4月5日閲覧。
- ^ “不動産情報ライブラリ 国土交通省地価公示(標準地) 川崎宮前-12”. 国土交通省. 2024年4月5日閲覧。
- ^ “不動産情報ライブラリ 国土交通省地価公示(標準地) 川崎宮前-19”. 国土交通省. 2024年4月5日閲覧。
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典 14 神奈川県」 竹内理三編、角川書店、1984年、P852。
- ^ “宮崎土地区画整理事業”. 川崎市 (2019年3月1日). 2024年3月18日閲覧。
- ^ “町界町名の改正について”. 川崎市 (2019年3月1日). 2024年3月17日閲覧。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “宮前区の小学校(町丁名順)”. 川崎市 (2022年4月1日). 2022年4月24日閲覧。
- ^ “宮前区の中学校(町丁名順)”. 川崎市 (2020年12月28日). 2022年4月24日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿PDF(2023年度版) 表紙等付属資料” (PDF). 日本郵便. 2024年2月10日閲覧。 “郵便番号データダウンロード 郵便番号簿PDF(2023年度版)”
- ^ “交番案内/宮前警察署/神奈川県警察”. 神奈川県警察. 2024年3月13日閲覧。