宮前村 (神奈川県)
日本の神奈川県橘樹郡にあった村
宮前村(みやさきむら)は、1889年(明治22年)4月1日から1938年(昭和13年)10月1日まで存在した神奈川県橘樹郡の村。
みやさきむら 宮前村 | |
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廃止日 | 1938年10月1日 |
廃止理由 |
編入合併 稲田町、向丘村、宮前村、生田村 → 川崎市 |
現在の自治体 | 川崎市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 橘樹郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
川崎市、橘樹郡向丘村 都筑郡中川村、山内村 |
宮前村役場 | |
所在地 | 神奈川県橘樹郡宮前村大字梶ヶ谷 |
座標 | 北緯35度35分21秒 東経139度34分43秒 / 北緯35.58922度 東経139.57858度座標: 北緯35度35分21秒 東経139度34分43秒 / 北緯35.58922度 東経139.57858度 |
ウィキプロジェクト |
概要
編集神奈川県橘樹郡北部の村。現在の神奈川県川崎市宮前区南部にあたる。東部は高津区にまたがる。
なお、本村の読み方は「みやさきむら」だが、現在の宮前区の読み方は「みやまえく」である。「みやさき」の読み方は宮前区宮崎(みやざき)に継承されている。
歴史
編集→詳細は「宮前区 § 沿革」を参照
沿革
編集- 戦国時代 - 土橋村、有馬、野川の地名が見られる。
- 江戸時代 - 以下の7村が成立。
- 馬絹村(旗本川勝氏・遠山氏の相給→幕府領、旗本川勝氏・遠山氏知行)
- 土橋村(旗本戸田氏・長坂氏の相給)
- 有馬村(旗本遠山氏・曽根氏の相給→幕府領、旗本遠山氏・曽根氏知行)
- 梶ヶ谷村(旗本蜂屋氏知行→幕府領)
- 上野川村(旗本戸田氏知行→江戸増上寺領)
- 下野川村(江戸増上寺領、旗本大岡氏知行→増上寺領)
- 野川村新田(幕府領)
- 1868年(明治元年)
- 旧暦6月17日 - 神奈川府の管轄となる。
- 旧暦9月21日 - 神奈川府が神奈川県に改称。
- 1874年(明治7年) - 大区小区制の施行により、梶ヶ谷村、馬絹村、有間村、土橋村、上野川村、下野川村が第5大区第5小区になる。
- 1875年(明治8年) - 上野川村、下野川村、野川村新田が合併して野川村が成立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、馬絹村、土橋村、有間村、梶ヶ谷村、野川村および溝口村の飛地が合併して宮前村が成立。旧有間村が大字有馬に改称。
- 1938年(昭和13年)10月1日 - 川崎市に編入。同日宮前村廃止。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 川崎市が政令指定都市に指定され、旧村域が高津区になる。
- 1982年(昭和57年)7月1日 - 川崎市高津区から宮前区を分区。旧村域が野川の一部(おおむね第三京浜道路、尻手黒川道路以東)、梶ケ谷一丁目〜六丁目を除いて宮前区になる。
経済
編集産業
編集- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば宮前村の篤農家は、「都倉義知、都倉彌七、横山總五郎、安齋文左衛門、堀川久右衛門」などがいた[1]。
交通
編集鉄道路線
編集東急田園都市線の宮崎台駅、宮前平駅、鷺沼駅は、当時は未開業。村域内の地名を称する梶が谷駅は旧橘村大字末長(現川崎市高津区末長)に所在。
道路
編集現在の町名
編集川崎市高津区
川崎市宮前区
脚注
編集- ^ 『大日本篤農家名鑑』271頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月6日閲覧。
参考文献
編集- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。