宮古啓三郎
宮古 啓三郎(みやこ けいざぶろう、慶応2年4月8日(1866年5月22日) - 昭和15年(1940年)4月9日[1])は、日本の衆議院議員(壬寅会→立憲政友会)、弁護士。
経歴
編集常陸国行方郡行方村(現在の茨城県行方市)出身。今泉源兵衛の二男で、縁戚の宮古氏の跡を継いだ[2]。1884年(明治17年)に司法省法学校に入学するが、学制の改正により第一高等中学校に移り、1889年(明治22年)に卒業した。その後、東京帝国大学法科大学に入学し、1892年(明治25年)に卒業した。卒業後は弁護士を開業し、また日本法律学校(日本大学)の講師も務めた[3]。
1902年の第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、9回の当選回数を数えた。
脚注
編集- ^ 故宮古啓三郎位記追賜ノ件
- ^ 『明治弁護士列伝』p205-208
- ^ 『衆議院要覧』
参考文献
編集- 東恵仁編『明治弁護士列伝』周弘社、1898年。
- 『衆議院要覧(乙) 昭和十一年十二月』衆議院事務局、1936年。
- 故宮古啓三郎位記追賜ノ件(国立公文書館 アジア歴史資料センター)