安藤直馨
安藤 直馨(あんどう なおか)は、江戸時代後期の紀伊国田辺藩15代藩主。官位は従五位下・帯刀。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明6年8月15日(1786年9月7日) |
死没 | 文政9年3月29日(1826年5月5日) |
改名 | 正三郎/賢三郎、直馨 |
官位 | 従五位下帯刀 |
主君 | 徳川治宝、斉順 |
藩 | 紀伊田辺藩主(御三家紀州藩附家老) |
氏族 | 本庄松平家、安藤氏 |
父母 | 松平資承、安藤直則 |
兄弟 |
松平資統、松平宗允、松平宗発、 松平資恭、直馨、松平資克、松平資譲、 富田知良正室、堀田一知正室、歌子、 朽木綱方正室、水野忠啓正室 |
子 | 松平宗発養女 |
略歴
編集丹後宮津藩主・松平資承の五男として誕生。幼名は正三郎、賢三郎。子は娘(松平宗発の養女)。
文政7年(1824年)6月27日、安藤直則の死去により、末期養子として家督を継いだ。同年12月16日、従五位下に叙任し、帯刀を称する。文政9年(1826年)に死去し、跡を直則の実子・直裕が継いだ。