安藤 伊右衛門(あんどう いえもん、寛延4年3月17日(1751年4月12日) - 文政10年3月17日(1827年4月12日))は、江戸時代後期の治水家[1]、新田開発の功労者[2]。名は正知[1]。
因幡国八上郡郡家村の豪農の家に生まれる[1][2]。旱魃に苦しむ郡内の14の村に、私財を投じて9三年後に当たる文政6年(1823年)八東川から伸びる灌漑用水路を完成させ、新田を拓いた[1][3]。
大正8年(1919年)、従五位を追贈された[4]。