奥野信太郎
奥野 信太郎(おくの しんたろう、1899年〈明治32年〉11月11日 - 1968年〈昭和43年〉1月15日)は、日本の中国文学者、随筆家。与謝野晶子門下の歌人。子爵橋本綱常の孫。
1963年 | |
人物情報 | |
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生誕 |
1899年11月11日 日本・東京都 |
死没 | 1968年1月15日(68歳没) |
出身校 | 慶應義塾大学文学部 |
学問 | |
研究分野 | 中国文学・東洋学 |
研究機関 | 慶應義塾大学、北京輔仁大学、文化学院 |
経歴
編集- 出生から修学期
1899年東京都生まれ。父は陸軍少将・奥野幸吉。母政子は子爵橋本綱常の娘[1]。したがって橋本左内は奥野信太郎の大伯父に当たる。
13歳の頃、浅草の叔母の家に預けられて芝居に熱中、永井荷風に心酔する。父の命で陸軍士官学校を受けたがわざと失敗、浅草オペラに耽溺する。続いて一高も受験するが失敗し、荷風を慕って慶應義塾大学文学部予科に入るが、荷風は既に退職していた。与謝野晶子門下で作歌活動もした。慶應義塾大学文学部を卒業。
- 中国文学研究者として
卒業後は同学予科講師となり、次いで外務省北京在勤特別研究員として北京に留学した。戦時中は北京で北京輔仁大学教授を兼任した。
戦後、1948年に慶應義塾大学文学部教授となった。研究のかたわら数多くの軽妙な随筆を記した。テレビ出演も多く軽妙洒脱な話術で人気があった[2]。
研究内容・業績
編集家族
編集著作
編集- 著書
- 『随筆北京』第一書房 1940
- 新版:平凡社東洋文庫 1990
- 『北京襍記』二見書房 1944
- 『幻亭雑記』世界文庫 1947
- 『日時計のある風景』文藝春秋新社 1947
- 『随筆東京』東和社 1951
- 『北京留学』読売新聞社 1952
- 『柘榴の庭』筑摩書房 1952
- 『こんにゃく横丁』文藝春秋新社 1953
- 『竜の横顔』要書房 1954
- 『花寂しくして』河出書房 1955
- 『福沢諭吉』金子書房「少年少女新伝記文庫」1955、新版 1975
- 『亭主の月給袋』新潮社 1956
- 『文学みちしるべ』新潮社 1956
- 『随筆 かじけ猫』章文社 1957
- 『藝文おりおり草』春秋社 1958
- 新版:平凡社東洋文庫 1992
- 『女妖啼笑-はるかな女たち』講談社 1959/講談社文芸文庫 2002
- 『浮世くずかご』講談社 1960
- 『紅豆集』桃源社 1962
- 『中国艶ばなし』文藝春秋新社 1963
- 『おもちゃの風景』三月書房 1964
- 『町恋いの記』三月書房 1967
- 『現代交際論 円満な人間関係』オリオン出版社 1967
- 『詠物女情』新潮社 1968
- 『中国文学十二話』日本放送出版協会〈NHKブックス〉1968[6]
- 『故都芳艸』論創社 1984
- 『東京暮色』論創社 1984。須田正一編
- 『玩具の記憶』論創社 1996。須田正一編
- 『奥野信太郎 中国随筆集』慶應義塾大学出版会 1998 - 選書判
- 『荷風文学みちしるべ』岩波現代文庫 2011 - 近藤信行編 「荷風論」を集成
- 著作集
- 『奥野信太郎集 現代知性全集 7』日本書房 1958
- 復刻『奥野信太郎』「日本人の知性 15」学術出版会 2010
- 『奥野信太郎 著作と回想』三田文学編 1971 - 二分冊・非売品
- 『奥野信太郎随想全集』(全6巻・別巻1)福武書店 1984[7]
- 随筆北京
- 随筆東京
- はるかな女たち
- 文学みちしるべ
- 知友回憶
- 浮世くずかご
- 別巻 見たもの聞いたもの
- 翻訳
- 『支那文学新選』西川寧共編、武蔵野書院 1930
- 『蒙求校本 李瀚』上中下 慶應義塾出版局 1935-36
- 『紅楼夢』魚返善雄共編、好学社 1948
- 『水滸伝』施耐庵 主婦之友社 1951(少年少女名作家庭文庫)
- 『ちやお・つうゆえ』老舎、筑摩書房 1952
- 『ほくろの位置について 世界艶笑譚』小西茂也共編訳、六興出版社 1953
- 『新・十八史略物語』全13巻 佐藤春夫・増田渉共編、河出書房 1956
- 『中国名言集』編訳、河出書房新社 1963
- 編著