大阪市電梅田善源寺町線
梅田善源寺町線(うめだぜんげんじちょうせん)は、大阪市の大阪駅前停留場 - 都島本通停留場間を結んでいた大阪市電の軌道路線である。
第四期線に含まれる。大阪市電で最後まで残った路線の一つである。路線は現在の地下鉄谷町線東梅田駅 - 都島駅間におおむね沿っている。また、1960年以降はトロリーバスの路線とその多くが並行していた。
もとは大阪駅前を起点としていたが、道路混雑の激しい御堂筋を横断する大阪駅前 - 阪急東口間は先に廃止となり、それ以降は阪急東口が起点となっていた。阪急東口では、大阪市電最後の日となった1969年3月31日に、当時の中馬馨大阪市長も出席して最終電車を見送るセレモニーが行われた。
路線データ
編集沿革
編集- 1919年(大正8年)12月14日:阪急電車前停留場 - 高垣町停留場間(0.4km)開業。
- 1920年(大正9年)
- 1921年(大正10年)6月7日:淀川停留場 - 都島橋停留場間(0.4km)延伸開業。
- 1922年(大正11年)
- 1924年(大正13年)ごろ:本庄中野町停留場を中崎町停留場に改称。
- 1926年(大正15年)4月15日:都島車庫前停留場 - 東野田沢上江町線沢上江町四丁目停留場間を開業。
- 1929年(昭和4年)5月20日:沢上江町二丁目停留場開業。
- 1933年(昭和8年)1月 - 2月:日本国有鉄道城東線高架化に伴う上下切替で、高垣町駅 - 中崎町駅間の跨線橋部分を地平化[1]。
- 1936年(昭和11年)ごろ:沢上江町二丁目停留場を都島本通停留場に改称。
- 1939年(昭和14年)3月14日:阪急電車前停留場を阪急阪神前停留場に改称。
- 1940年(昭和15年)ごろ:都島車庫前停留場を都島停留場に改称。
- 1944年(昭和19年)6月1日:戦時体制下で終日急行運転実施のため、高垣町停留場、浮田町停留場、長柄国分寺停留場、淀川停留場、都島橋停留場を廃止。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)9月1日:淀川停留場が復活。
- 1951年(昭和26年)以前:阪急阪神前停留場を廃止。
- 1951年(昭和26年)10月20日:大阪駅前停留場(東乗場)を阪急東口停留場に改称。
- 1953年(昭和28年)11月20日:浮田町停留場、長柄国分寺駅停留場が復活。
- 1964年(昭和39年)6月20日:南北線大阪駅前停留場 - 阪急東口停留場間廃止。
- 1969年(昭和44年)4月1日:阪急東口停留場 - 都島本通停留場間廃止。
電停一覧
編集停留場名 | 読み | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
大阪駅前停留場 | おおさかえきまえ | 0.0 | 大阪市電:南北線 大阪市営地下鉄:1号線(梅田駅)、2号線(東梅田駅) 日本国有鉄道:東海道本線、大阪環状線(大阪駅) 阪神電気鉄道:本線(梅田駅) 京阪神急行電鉄:神戸本線、宝塚本線、京都本線(梅田駅) |
北区 |
阪急東口停留場 | はんきゅうひがしぐち | 0.1 | 大阪市営地下鉄:1号線(梅田駅)、2号線(東梅田駅)、3号線(西梅田駅)[2] 日本国有鉄道:東海道本線、大阪環状線(大阪駅) 阪神電気鉄道:本線(梅田駅) 京阪神急行電鉄:神戸本線、宝塚本線、京都本線(梅田駅) | |
中崎町停留場 (旧本庄中野町停留所) |
なかざきちょう | 0.9 | ||
浮田町停留場 | うきたちょう | 1.1 | ||
天神橋筋六丁目停留場 | てんじんばしすじろくちょうめ | 1.5 | 大阪市電:長柄橋筋線、天神橋西筋線 京阪神急行電鉄:千里線(天神橋駅) 阪神電気鉄道:北大阪線 | |
長柄国分寺停留場 | ながらこくぶんじ | 1.7 | ||
淀川停留場 | よどがわ | 2.0 | ||
都島車庫前停留場 | みやこじましゃこまえ | 2.7 | 都島区 | |
都島本通停留場 | みやこじまほんどおり | 3.0 | 大阪市電:都島守口線、東野田沢上江町線 |
※接続路線、接続駅の名称は廃止時点のもの
脚注
編集参考文献
編集- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 10 大阪、新潮社、2009年2月18日。ISBN 978-4-10-790028-9。
- 大阪市交通局『大阪市電廃止記念誌「市電」 ―市民とともに65年―』大阪市交通局、1969年3月25日。
- 辰巳博 著、福田静二 編『JTBキャンブックス 大阪市電が走った街 今昔 水の都の路面電車 定点対比』(初版)JTB、2000年12月1日。ISBN 4-533-036511。