大阪市立林寺小学校
大阪府大阪市にある小学校
大阪市立林寺小学校(おおさかしりつ はやしでら しょうがっこう)は、大阪府大阪市生野区にあった公立小学校。2022年3月に閉校し、周辺の小中学校計5校との統合で大阪市立義務教育学校生野未来学園へと再編された。
大阪市立林寺小学校 | |
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林寺小学校 | |
北緯34度38分41秒 東経135度31分58秒 / 北緯34.64475度 東経135.532639度座標: 北緯34度38分41秒 東経135度31分58秒 / 北緯34.64475度 東経135.532639度 | |
過去の名称 |
大阪市生野第三尋常小学校 大阪市林寺国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
設立年月日 | 1934年4月1日 |
創立記念日 | 5月19日 |
閉校年月日 | 2022年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B127210001525 |
所在地 | 〒544-0021 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集生野区の南西部を校区とし、校区の南側は阿倍野区および東住吉区と接している。
「林寺」については、学校周辺の地名は「はやしじ」と読むが、学校名は「はやしでら」と読む[1]。一帯の元々の地名は「はやしでら」だったが、その後地名は「はやしじ」と読まれるようになった。
1934年に大阪市生野尋常小学校(現在の大阪市立生野小学校)より分離開校した。
2022年に従来の西生野小学校と生野中学校の校地を引き継ぎ、大阪市立義務教育学校生野未来学園へと統合されることになっている。これに伴い2022年3月31日付で閉校となった。
沿革
編集- 1934年4月1日 - 大阪市生野第三尋常小学校として開校。
- 1934年9月21日 - 室戸台風接近に伴う暴風雨により、死者3人、負傷者4人[2]。
- 1941年4月1日 - 国民学校令により、大阪市林寺国民学校に改称。
- 1944年 - 奈良県奈良市、生駒郡平城村・伏見村(現在は奈良市に編入)、生駒郡郡山町(現在の大和郡山市)へ集団疎開。
- 1947年4月1日 - 学制改革により、大阪市立林寺小学校に改称。
- 1951年6月7日 - 生野南小学校の起源となる第四分校を設置[3]。
- 1952年4月1日 - 従来の校区の一部を、新設の大阪市立生野南小学校校区へ分離。
- 1956年4月1日 - 従来の校区の一部を、新設の大阪市立西生野小学校校区へ分離。
- 1958年7月3日 - 養護学級が置かれた分校を設置[3]。
- 1979年3月18日 - 分校を閉鎖。養護学級を本校へ統合[3]。
- 1986年3月31日 - 分校を廃止[3]。
- 2022年3月31日 - 生野中学校区(生野小学校、舎利寺小学校、林寺小学校、西生野小学校、生野中学校)の学校再編に伴い閉校。
通学区域
編集- 大阪市生野区 林寺1丁目・2丁目の全域、林寺3丁目の一部、林寺4丁目の一部。
- 卒業生は大阪市立生野中学校に進学していた。
跡地の活用
編集跡地にインターナショナル・スクールを誘致する構想が、2022年10月に発表された[4]。
交通
編集脚注
編集- ^ “町名の由来”. 大阪市生野区 (2019年1月8日). 2022年10月21日閲覧。
- ^ 小学校の倒壊相つぎ学童ら多数死傷『大阪毎日新聞』昭和9年9月21日号外(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p228 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ a b c d “学校の沿革(詳細)” (PDF). 大阪市立林寺小学校 (2010年9月18日). 2021年10月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月14日閲覧。
- ^ “報道発表資料 林寺小学校跡地活用事業に関する活用事業者募集プロポーザルにかかる事業予定者の決定について”. 大阪市 (2022年10月21日). 2022年10月21日閲覧。