大野隆治
大野 隆治(おおの りゅうじ、1980年(昭和55年)5月11日 - )は、福岡県遠賀郡岡垣町[1]出身の元プロ野球選手(捕手)。2004年から2005年の登録名は大野立詞(読み同じ)。
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県遠賀郡岡垣町 |
生年月日 | 1980年5月11日(44歳) |
身長 体重 |
184 cm 94 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2002年 ドラフト5巡目 |
初出場 | 2004年7月1日 |
最終出場 | 2007年4月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
来歴
編集東福岡高3年の時には春夏を通じて甲子園に出場するなど、高校時代から強肩強打の捕手として有名だった[1]。
日本大学へ進学。東都大学リーグ通算63試合出場、192打数39安打、打率.203、2本塁打、19打点。2001年春季リーグ戦でベストナイン受賞し、大学選手権では館山昌平とのバッテリーで準優勝。2002年(平成14年)のドラフト5巡目でホークス(当時)に入団[1]。
ポスト城島健司候補の一人で、2004年のシーズンオフには城島と自主トレを行って同年フレッシュオールスターゲーム出場。しかしながら、城島がシアトル・マリナーズへ移籍した2006年のシーズンにも出場機会は無かった。
2007年10月27日、ホークスから戦力外通告を受け、11月30日付で自由契約が公示された。なお、11月26日にヤフードームで行われた「感謝の集い2007」で、同じく戦力外通告を受けていた倉野信次、田之上慶三郎、稲嶺誉らと共に別れのセレモニーに参加した。
2008年、現役を諦めきれず母校の日大で練習を重ね12球団合同トライアウトに参加した。
2009年1月22日、同月26日付でホークス野球振興部への入団が発表された。
人物
編集詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | ダイエー ソフトバンク |
5 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 1.000 | ---- | ---- |
2007 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
通算:2年 | 7 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 1.000 | ---- | ---- |
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
記録
編集- 初出場:2004年7月1日、対オリックス・ブルーウェーブ17回戦(Yahoo! BBスタジアム)、7回裏に城島健司に代わり捕手で出場
- 初打席:2004年7月3日、対千葉ロッテマリーンズ16回戦(福岡ドーム)、9回裏に薮田安彦から四球
背番号
編集- 25 (2003年 - 2007年)
登録名
編集- 大野 隆治 (おおの りゅうじ、2003年、2006年 - 2007年)
- 大野 立詞 (おおの りゅうじ、2004年 - 2005年)
関連項目
編集脚注
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 大野隆治 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)