大里広次郎
大里 広次郎(おおさと ひろじろう、1875年(明治8年)10月11日[1] – 1955年(昭和30年)2月28日[2])は、衆議院議員(憲政会→立憲民政党)。内科医。
経歴
編集福岡県穂波郡飯塚町(現在の飯塚市)に福間嘉七郎の四男として生まれ、大里文龍の養子となった[3]。1898年(明治21年)に第五高等学校医学部を卒業し、東京帝国大学医科大学に学んだ。福岡県立病院医員、嘉穂郡郡医となり、大阪病院を開業した[2]。さらに飯塚保健組合病院長を務め、嘉穂郡医師会長、福岡県医師会長、九州連合医師会長を歴任した。また教育者としても飯塚高等女学校長、嘉穂看護婦学校長、九州医学専門学校理事・評議員となった。その他、九州自動車株式会社取締役を務めた。
福岡県会議員、同参事会員を経て、1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙で当選。第16回、第17回でも再選を果たした。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。