大河内久信
大河内 久信(おおこうち ひさのぶ)は、江戸時代後期の旗本。大河内宗家21代。石高は715石。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 弘化2年2月2日(1845年3月9日) |
別名 | 銶次郎→金兵衛 |
戒名 | 洞雲院殿久嶽道永大居士 |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
官位 | 大内記、下野守、肥後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶 |
氏族 | 大河内家 |
父母 | 父:大河内久徴 |
兄弟 | 久信、女 |
妻 | 献珠院(藤木保旧の娘) |
子 | 久道 |
生涯
編集大河内久徴の子として生まれる。書院番を務め、天保5年(1834年)11月23日に小納戸となる。天保7年(1836年)5月に小姓、天保8年(1837年)4月2日に西丸小姓、天保12年(1841年)3月23日に本丸小姓となるが、5月15日に御役御免となる。天保13年(1842年)6月に父が死去したため家督を相続する。弘化2年(1845年)2月2日に死去。