大椴駅
かつて日本の北海道小平町にあった日本国有鉄道の駅
大椴駅(おおとどえき)は、かつて北海道(留萌管内)留萌郡小平町字大椴に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)羽幌線の駅(廃駅)である。電報略号はオト。事務管理コードは▲121605[2]。
大椴駅 | |
---|---|
おおとど Ōtodo | |
◄花岡仮乗降場 (5.4 km) (4.3 km) 富岡仮乗降場► | |
所在地 | 北海道留萌郡小平町字大椴 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 羽幌線 |
キロ程 | 17.3 km(留萠起点) |
電報略号 | オト |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1927年(昭和2年)10月25日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)3月30日[1] |
備考 | 羽幌線廃線に伴い廃駅 |
一部の普通列車は通過した(1986年(昭和61年)11月1日改定の時刻(廃止時の時刻表)で、上下各1本(急行「はぼろ」後継の主要駅停車列車)[3])。
歴史
編集- 1927年(昭和2年)10月25日:鉄道省留萠線の留萠駅 - 当駅間の開通に伴い、新設[1]。一般駅[1]。
- 1928年(昭和3年)10月10日:当駅 - 鬼鹿駅間の延伸開通に伴い、中間駅となる。
- 1931年(昭和6年)10月10日:留萠駅 - 古丹別駅間を留萠線から分離し路線名を羽幌線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1960年(昭和35年)9月15日:小口扱い貨物の取り扱いを廃止[4][1]。
- 1963年(昭和38年)2月10日:公衆電報の取り扱い廃止[4]。
- 1972年(昭和47年)2月8日:羽幌線営業近代化[4]。荷物取り扱いを廃止し[5]、同時に無人駅化[6]。
- 1987年(昭和62年)3月30日:羽幌線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅構造
編集駅名の由来
編集当駅が所在した地名より。地名はもともと「大椴子(おおとどこ)」と称したが、その上部が駅名となった[8][9]。
「大椴子」は、アイヌ語の「ポロトトコ」という語を半訳したことに由来すると考えられる[8]。「ポロ(poro)」は「大きい」の意であるが、「トトコ」が何であるかについては、例えば上原熊次郎や『駅名の起源(1939年版)』は「トゥトゥㇰ(tu-tuk)」(岬・出っ張っている)の意としているが、このほか「トゥエトコ(tu-etoko)」(山・端)、「トトコ」(上に沼がある)などの諸説がある[8][9]。
駅周辺
編集- 北海道道958号大椴線
- 国道232号
- 大椴子川
駅跡
編集駅舎や駅構内施設は撤去され、1999年(平成11年)時点で駅跡地にはダム建設事務所が建てられており、ホームらしい地形と農協の古い倉庫が残っていた[10]。駅前広場の木がそのまま残り、あとは草むらとなっている。
また、2011年(平成23年)時点では駅跡附近に築堤が残存し、コンクリート造りのカルバートも残存している[11]。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、871頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、230頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 時刻表『JNR編集 時刻表 1987年4月号』(弘済出版社、1987年4月発行)JRニュース13ページより。
- ^ a b c 『鉄道百年記念 旭鉄略年表(1972年)』日本国有鉄道旭川鉄道管理局、1972年、29, 33頁。doi:10.11501/12061017 。
- ^ “日本国有鉄道公示第569号”. 官報. (1972年2月8日)
- ^ 「通報 ●羽幌線三泊駅ほか4駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1972年2月8日、2面。
- ^ 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)199ページより。
- ^ a b c “アイヌ語地名リスト エン~オニシ P21-30P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月24日閲覧。
- ^ a b 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、55頁。NDLJP:1029473。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVI』(JTBパブリッシング、1999年3月発行)25ページより。
- ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)211ページより。