大森 佳一(おおもり かいち、1883年明治16年〉8月2日[1] - 1945年昭和20年〉3月25日[2])は、日本の政治家内務官僚貴族院議員、官選県知事男爵位階従三位[3]勲等は勲三等[3]

大森佳一
おおもり かいち
自由通信社編『輝く憲政』より
生年月日 1883年8月2日
出生地 日本の旗 日本 東京府
(現・東京都
没年月日 (1945-03-25) 1945年3月25日(61歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学政治学科卒業
前職 群馬県内務部長
所属政党 公正会
称号 従三位
勲三等
親族 父・大森鍾一(貴族院議員)
義弟・中川望(貴族院議員)
義弟・池田宏(神奈川県知事)
義弟・児玉九一(広島県知事)
義弟・永井浩(熊本県知事)
義弟・重成格(参議院議員)

在任期間 1931年9月19日 - 1945年3月25日

在任期間 1929年9月 - 1931年8月

在任期間 1928年1月 - 1929年9月
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経歴

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本籍・静岡県東京府出身。男爵大森鍾一の長男として生まれる。学習院高等科を経て、1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入り千葉県属となる。1911年(明治44年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。

以後、群馬県属、滋賀県理事官滋賀県警察部長、栃木県警察部長、岩手県内務部長、山形県内務部長、茨城県書記官・内務部長、群馬県書記官・内務部長などを歴任。1927年(昭和2年)、父の死去に伴い男爵を襲爵。

1928年(昭和3年)1月、群馬県知事に就任し、1929年(昭和4年)9月まで在任。同月、島根県知事に発令され、1931年(昭和6年)8月まで務め退官した[4]。同年9月19日、補欠選挙で貴族院男爵議員に選出され[5]公正会に属し死去するまで在任[2][6]。その他、岡田内閣の内務政務次官、恩給金庫評議員、地方分与税委員会委員などを務めた。

墓所は吉祥寺享年63。戒名は春德院殿直雅道光大居士

親族

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脚注

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  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成 上巻』330頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』68頁。
  3. ^ a b 火曜会所属・公正会所属貴族院議員録 55コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 島根県人名事典 151コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、39頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。


日本の爵位
先代
大森鍾一
男爵
大森(鍾一)家第2代
1927年 - 1945年
次代
大森俊一