重成 格(しげなり かく、1901年7月13日 - 1956年10月16日)は、日本内務官僚政治家鹿児島県知事(官選第30代、公選初代-第2代)、参議院議員(1期)。

重成 格
しげなり かく
生年月日 (1901-07-13) 1901年7月13日
出生地 岡山県岡山市
没年月日 (1956-10-16) 1956年10月16日(55歳没)
出身校 東京帝国大学法学部法律学科卒業
前職 内務官僚
所属政党 無所属
自由民主党
称号 従三位
勲二等瑞宝章
法学士
親族 大森鍾一(義父)

選挙区 鹿児島県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1956年7月8日 - 1956年10月16日

官選第30代 鹿児島県知事
在任期間 1946年7月23日 - 1947年3月10日

公選初代-第2代 鹿児島県知事
当選回数 2回
在任期間 1947年4月16日 - 1955年4月29日
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来歴

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岡山県出身。1925年東京帝国大学を卒業し、内務省に入省。大阪府官房長、兵庫県内務部長などを務め、1946年、官選の鹿児島県知事に就任した。翌年には鹿児島県知事選挙に当選し、初代の公選知事となった。

知事当選直後には、内務省検閲課長の前歴から、公職追放を求める運動が起きたり、副知事に県総務部長の保岡武久を起用しようとしたところ、県組織内部からの起用に県議会が反発し、保岡の副知事就任まで半年近くかかるなどの混乱があったが、アメリカの施政下におかれていた奄美群島の返還運動を積極的に推進し、知事在任中の1953年に返還が実現した。

2期8年で知事を退任し、1956年第4回参議院議員通常選挙鹿児島県選挙区から自由民主党公認で立候補し当選したが、その3か月後に病気により国会初登院前に急逝、55歳。死没日をもって勲二等瑞宝章(勲三等からの昇叙)追贈、正五位から従三位に叙される[1]

親族

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脚注

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  1. ^ 『官報』第8946号452頁 昭和31年10月19日号
公職
先代
新設
 鹿児島県知事
公選初代-第2代:1947年 - 1955年
次代
寺園勝志
官職
先代
龍野喜一郎
 鹿児島県知事
官選第30代:1946年 - 1947年
次代
橋爪清人