大松沢丘陵
大松沢丘陵(おおまつざわきゅうりょう)は、宮城県のほぼ中央を、松島丘陵(狭義)と平行に東西に横たわる丘陵。陸前丘陵の一部。
大松沢丘陵 | |
---|---|
位置 | 北緯38度29分15秒 東経140度59分30秒 / 北緯38.48750度 東経140.99167度 |
所在地 | 宮城県大崎市・黒川郡 |
プロジェクト 山 |
概要
編集北側と東側を鳴瀬川によって、西側と南側を吉田川とその支流によって区切られる孤立性の丘陵であるが、西側の吉田川支流による平坦地は狭く、奥羽山脈から連続する舌状台地と認識されることもある。丘陵の内部には吉田川支流によっていくつもの狭い谷筋が走り、水田がつくられている。この丘陵を迂回するように、西側の平坦地を国道4号および国道457号(羽後街道)が通る。なお、東北自動車道と東北新幹線は、この丘陵を直線的に縦断して開削・建設された。旧奥州街道は、国道4号と東北自動車道のちょうど中間辺りを両者と平行に大松沢丘陵越えの道として通っていた[1]。
大松沢丘陵は松島丘陵(狭義)とは異なり、東端は仙台湾に達せずに鳴瀬川で終わっており、概ね鳴瀬川流域の志田郡(大崎地方南部)と吉田川流域の黒川郡(仙台都市圏北部)との境界となっているが、志田郡のうち旧鹿島台町は黒川郡と同じ丘陵南側の平野に位置する。この旧鹿島台町と黒川郡との境界は日清戦争期まで存在した品井沼という低湿地であった。かつての品井沼は、大松沢丘陵南東の吉田川と鳴瀬川が合流地にあり、海側の松島丘陵と旭山丘陵がダムのように連なっていたため、鳴瀬川の溢出路が阻まれて出来た。このような大松沢丘陵・品井沼・松島丘陵(狭義)による地形は、古代から交通の障害となっており、東北地方を南北に分ける境界になってきた(→松島丘陵参照)。そのため、境界となってきたこれら地形全体で、広義の松島丘陵という。東北本線は、これら広義の松島丘陵の地形的要素を克服しながら建設され、当地を通過する部分については1890年(明治23年)4月16日に開通した。
幕末から仙台藩・仙台城の城下町周辺の丘陵地などで亜炭が産出されるようになり(仙台市の亜炭)、家庭での燃料がそれまでの薪や木炭から亜炭へと移行するが、大松沢丘陵も亜炭の産地として興隆する。特に、1920年代に仙台鉄道(通町駅~中新田駅)が開通すると、大衡駅が大松沢丘陵の亜炭の集積地となり、仙台に大量供給されるようになった。1950年(昭和25年)の台風で仙台鉄道はその多くの区間で廃止となり、また、エネルギー革命により家庭での燃料は亜炭から都市ガス(→仙台市ガス局)や灯油へと変化したため、当地の亜炭採掘の歴史も終焉を迎えた。
現在の利用
編集ほとんどを丘陵部の森林と谷筋の水田が占めるが、工業団地・ゴルフ場・レクリエーション施設・牧場が造成されている。丘陵の東部にある石の宮、高寺山、大日向山がやや高い山となっているが、その他には目立って高い山はない。
1983年(昭和58年)、国によって仙台北部地域がテクノポリスに指定され、その中核として東北自動車道・大和ICに近い大松沢丘陵西部に仙台北部中核工業団地が造成された。周辺の松島丘陵(狭義)や丘陵の裾野部分にも工業団地が造成され、当丘陵周辺は、宮城県の機械工業と流通の集積地となっている。特に、2007年(平成19年)10月にトヨタ自動車系のセントラル自動車が第二仙台北部中核工業団地に進出を決めてから、東北地方における重要工業地域と見なされるようになった。これに合わせ、当丘陵上にある三本木PAにスマートICが2009年(平成21年)9月に設置され、また、2010年(平成22年)12月18日には、大衡ICが供用開始。更に2010年(平成22年)3月27日には、仙台北部道路の富谷JCT-利府しらかし台IC間が開通し、仙台都市圏環状自動車専用道路が全通した。
主な施設
編集- 工業流通団地
- 仙台北部ツインヒルズ
- 仙台北部中核工業団地
- 第二仙台北部中核工業団地
- 大和流通団地
- 大和インター周辺流通
- 大衡工業団地
- レクリエーション施設
- 万葉クリエートパーク
- 昭和万葉の森
- 民間ゴルフ場
- その他
- 宮城県林業技術総合センター
出典
編集- ^ 奥州街道・一里塚発掘調査現地説明会(宮城県)
関連項目
編集外部リンク
編集- 仙台北部工業団地整備室(宮城県)
- 工業団地マップ(宮城県 みやぎ企業立地ガイド)
- 宮城県林業技術総合センター