大本 貞太郎(おおもと さだたろう、1884年4月18日[1] - 1944年4月29日[2])は、日本政治家衆議院議員(3期)。

大本貞太郎

経歴

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愛媛県出身[3]松山商業会議所議員、愛媛県会議員、同参事会員、同副議長となる[3]。伊予新報社社長、伊予鉄道電気会社副社長、伊予銀行取締役、(資)弘文社代表社員、松山商工会議所顧問を務める[2]

1932年第18回衆議院議員総選挙において愛媛1区(当時)から立憲政友会公認で立候補し当選[4]。以来連続3回当選[2]1942年第21回衆議院議員総選挙には立候補せず引退した。1944年死去。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第七十二回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年、27頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』140頁。
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』139頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』103頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。