大城兼義
大城 兼義(おおしろ けんぎ[1] / かねよし[2]、1871年8月11日(尚泰24年6月25日[1][3])- 1951年(昭和26年)11月11日[1][2])は、明治から昭和初期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴
編集琉球王国小禄間切宇栄原[1](のち沖縄県島尻郡小禄村、現那覇市小禄字宇栄原)で、屋号新屋敷・大城三郎の長男として生まれる[1][3]。小禄小学校、島尻高等小学校を経て、1890年(明治23年)沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)に入学したが、3年で退学した[1]。1896年(明治29年)長崎鎮西学館(鎮西学院)神学科沖縄支部を卒業し、伝道師としてキリスト教の布教に従事した[1][2][3]。
1901年(明治34年)から臨時沖縄県土地整理事務局で測量に従事[1][4]。1904年(明治37年)熊本移民 (合) の沖縄代理店を開設し、5カ年[注 1]にわたりハワイ、メキシコ、南洋諸島へ移民約5千人を送り出した[1][3]。その後、呉服業、沖縄実業銀行監査役、沖縄書籍社長、沖縄書籍雑誌商組合長、大城無尽商会主などを務めた[1][2][3][4]。
政界では、小禄村会議員、島尻郡会議員、沖縄県会議員などを務め[1][2][3][4]、1925年(大正14年)多額納税者議員に選出され、同年9月29日、同議員に就任し[5]、1932年(昭和7年)9月28日まで1期在任し[2]、この間、交友倶楽部に所属して活動した[2]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『沖縄県人事録』65頁では4年。
出典
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 日本図書センタ−編『出版文化人名辞典』第4巻、日本図書センタ−、1988年。(『全国書籍商総覧 昭和10年版』復刻)
- 沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典』上巻、沖縄タイムス社、1983年。
- 沖縄朝日新聞社編『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社、1937年。