大原 総一郎(おおはら そういちろう、1909年7月29日 - 1968年7月27日)は、日本の実業家。正式な表記は大原 總一郎(読みは同じ)。

倉敷絹織株式会社新旧社長披露記念写真(1939年5月21日、前列右から3人目が大原総一郎、4人目が大原孫三郎)

略歴

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関連文献

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  • 『大原總一郎 随想全集』全4巻、福武書店、1981年。担当編集者は下記
    1 思い出、2 自然・旅、3 音楽・美術、4 社会・思想
  • 井上太郎 『大原總一郎 へこたれない理想主義者』 講談社、1993年/中公文庫、1998年

姻戚関係

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妻は侯爵野津鎮之助末弘ヒロ子の次女・真佐子(旧薩摩藩士・侯爵野津道貫福岡県小倉市長・末弘直方の孫娘)。長女・麗子は、テレビプロデューサー大原れいこで、犬養健の長男(犬養毅の孫)犬養康彦に嫁ぐ。次女・泰子は正田英三郎の次男(上皇后美智子の弟)正田修に嫁ぐ。

関連項目

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外部リンク

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先代
谷口豊三郎
稲畑太郎
関西経済同友会代表幹事
芦原義重と共同
1960年 - 1961年
次代
芦原義重
寺尾威夫