大勲位李花大綬章
大韓帝国の勲章
大勲位李花大綬章(だいくんいりかだいじゅしょう)は、大韓帝国の勲章の一つ。
大勲位李花大綬章 | |
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正章(左)と副章(右) | |
大韓帝国による賞 | |
種別 | 勲章 |
状態 | 廃止 |
歴史・統計 | |
創設 | 1900年4月17日 |
初授与 | 1902年3月16日 |
最新(最後) の授与 | 1910年8月27日 |
序列 | |
上位 | 大勲位瑞星大綬章 |
下位 | 太極章 |
大勲位李花大綬章 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 대훈위 이화대수장 |
漢字: | 大勳位李花大綬章 |
概要
編集1900年4月17日、大勲位李花大綬章は大韓帝国勅令第13号の勲章条例によって制定された。大勲位瑞星大綬章の下位、太極章の上位に位置している[1]。名称は大韓帝国の国章から取られている[2]。太極章を受けた者の中で特別の功績がある場合に対し、皇帝の特旨によって授与された[3]。
意匠
編集大勲位李花大綬章は大綬章である正章と副章から成る。勲章は金製であり、直径は約7.5センチメートルである。白の縁取りが入った太極を中心にして紅色の旭光が周囲へ広がり、四方には三つの白の旭光、白の旭光の間には三連の李花が輪を描くように配されている。大綬と正章を繋ぐ鈕も金製であり、白の李花に三枚の葉が添えられている。鈕の裏には右横書きの篆書体で「勲功旌章」と刻まれている。副章も基本意匠は正章に準ずるが、直径は約9センチメートルとやや大きい。裏には鈕と同じく縦書きの篆書体で「勲功旌章」と刻まれている[4]。
大勲位李花大綬章を帯勲する際は右肩から左下へ大綬をかけ、綬の交点に鈕と正章を取り付ける。副章は左胸に佩用する[1][4]。略綬の材質は大綬と同一である。形状は円形であり、紅色の地に黄色い李花が描かれている[4]。略綬は通例ボタンホールに佩用する[1]。
受章者
編集役職は原則受章当時
年 | 月日 | 肖像 | 名前 | 役職等 | 国籍 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
1902年 | 3月16日 | 沈舜沢 | 領敦寧院事 | 大韓帝国 | [5] | |
3月24日 | 井上馨 | 特命副全権弁理大臣 | 大日本帝国 | [6] | ||
1904年 | 9月16日 | 尹容善 | 特進官 | 大韓帝国 | [7] | |
李載完 | 完順君 | 大韓帝国 | ||||
閔泳煥 | 元帥府会計局総長 | 大韓帝国 | ||||
9月19日 | 小村壽太郎 | 外務大臣 | 大日本帝国 | [8] | ||
田中光顕 | 宮内大臣 | 大日本帝国 | ||||
1905年 | 1月18日 | 長谷川好道 | 陸軍大将 | 大日本帝国 | [9] | |
2月27日 | 奕劻 | 慶親王 | 清 | [10] | ||
3月7日 | 岡沢精 | 陸軍大将 | 大日本帝国 | [11] | ||
3月19日 | 李載覚 | 義陽君 | 大韓帝国 | [12] | ||
5月28日 | 大浦兼武 | 逓信大臣 | 大日本帝国 | [13] | ||
6月29日 | 徳大寺実則 | 侍従長 | 大日本帝国 | [14] | ||
1906年 | 6月22日 | 野津道貫 | 陸軍大将 | 大日本帝国 | [15] | |
伊東祐亨 | 海軍大将 | 大日本帝国 | ||||
井上良馨 | 海軍大将 | 大日本帝国 | ||||
8月29日 | 大島義昌 | 陸軍大将 | 大日本帝国 | [16] | ||
11月28日 | 黒木為楨 | 陸軍大将 | 大日本帝国 | [17] | ||
寺内正毅 | 陸軍大臣 | 大日本帝国 | ||||
1907年 | 3月15日 | 李根命 | 領敦寧司事 | 大韓帝国 | [18] | |
閔泳徽 | 表勲院総裁 | 大韓帝国 | ||||
5月1日 | 徳川家達 | 公爵 | 大日本帝国 | [19] | ||
5月28日 | 李垠 | 英王 | 大韓帝国 | [20] | ||
1907年 | 9月7日 | 閔丙奭 | 宮内府卿 | 大韓帝国 | [21] | |
9月19日 | 李載冕 | 完興君 | 大韓帝国 | [22] | ||
10月10日 | 閔泳奎 | 内医院都提調 | 大韓帝国 | [23] | ||
10月18日 | 岩倉具定 | 枢密顧問官 | 大日本帝国 | [24] | ||
花房義質 | 宮内次官 | 大日本帝国 | ||||
10月25日 | 李完用 | 内閣総理大臣 | 大韓帝国 | [25] | ||
10月30日 | 尹沢栄 | 海豊府院君 | 大韓帝国 | [26] | ||
12月2日 | 李埈鎔 | 永宣君 | 大韓帝国 | [27] | ||
1908年 | 1月18日 | 曾禰荒助 | 統監府副統監 | 大日本帝国 | [28] | |
1月29日 | 原敬 | 内務大臣 | 大日本帝国 | [29] | ||
阪谷芳郎 | 大蔵大臣 | 大日本帝国 | ||||
斎藤実 | 海軍大臣 | 大日本帝国 | ||||
松田正久 | 法務大臣 | 大日本帝国 | ||||
牧野伸顕 | 文部大臣 | 大日本帝国 | ||||
山縣伊三郎 | 逓信大臣 | 大日本帝国 | ||||
松岡康毅 | 農商務大臣 | 大日本帝国 | ||||
末松謙澄 | 枢密顧問官 | 大日本帝国 | ||||
香川敬三 | 皇太后宮大夫 | 大日本帝国 | ||||
戸田氏共 | 式部長官 | 大日本帝国 | ||||
渡辺千秋 | 内蔵頭 | 大日本帝国 | ||||
2月14日 | 李址鎔 | 中枢院顧問 | 大韓帝国 | [30] | ||
李允用 | 宮内府大臣 | 大韓帝国 | ||||
10月10日 | 鍋島直大 | 宮中顧問官 | 大日本帝国 | [31] | ||
10月29日 | 岡崎生三 | 陸軍中将 | 大日本帝国 | [32] | ||
1909年 | 4月9日 | 大久保春野 | 陸軍大将 | 大日本帝国 | [33] | |
5月26日 | 西島助義 | 陸軍中将 | 大日本帝国 | [34] | ||
6月8日 | 伊集院五郎 | 海軍中将 | 大日本帝国 | [35] | ||
出羽重遠 | 海軍中将 | 大日本帝国 | ||||
1910年 | 4月5日 | 趙秉鎬 | 奎章閣祗候官 | 大韓帝国 | [36] | |
5月19日 | 石黒忠悳 | 陸軍総監 | 大日本帝国 | [37] | ||
8月26日 | 朴斉純 | 内部大臣 | 大韓帝国 | [38] | ||
高永喜 | 度支部大臣 | 大韓帝国 | ||||
李容稙 | 学部大臣 | 大韓帝国 | ||||
趙重応 | 農商工部大臣 | 大韓帝国 | ||||
金允植 | 中枢院議長 | 大韓帝国 | ||||
尹徳栄 | 侍従院卿 | 大韓帝国 | ||||
李秉武 | 侍従武官長 | 大韓帝国 | ||||
8月27日 | 李海昌 | 昌山君 | 大韓帝国 | [39] | ||
李海昇 | 清豊君 | 大韓帝国 |
脚注
編集- ^ a b c “조선왕조실록”. 국사편찬위원회. 2012年4月25日閲覧。
- ^ “조선왕조실록”. 국사편찬위원회. 2012年4月25日閲覧。
- ^ “조선왕조실록”. 국사편찬위원회. 2012年4月25日閲覧。
- ^ a b c 이강칠 (1999). 대한제국시대 훈장제도. 백산출판사. p. 94 ~ 95
- ^ “조선왕조실록”. 国史編纂委員会. 2021年6月15日閲覧。
- ^ “조선왕조실록”. 国史編纂委員会. 2021年6月15日閲覧。
- ^ “조선왕조실록”. 国史編纂委員会. 2021年6月15日閲覧。
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- ^ “조선왕조실록”. 国史編纂委員会. 2021年6月15日閲覧。
参考文献
編集- 이강칠 (1999), 《대한제국시대 훈장제도》, 백산출판사. ISBN 9788977392595
外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、大勲位李花大綬章に関するカテゴリがあります。
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