大前繁雄
大前 繁雄(おおまえ しげお、1942年6月28日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。兵庫県尼崎市出身。
大前繁雄 おおまえ しげお | |
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防衛大臣政務官就任に際し公表された公式肖像写真 | |
生年月日 | 1942年6月28日(82歳) |
出生地 | 兵庫県尼崎市 |
出身校 | 京都大学法学部 |
前職 | 大前学園理事長 |
所属政党 |
(民社党→) (無所属→) (自由民主党→) 無所属 |
称号 |
藍綬褒章 法学士 1級土木施工管理技士 |
親族 | 次女・大前春代 |
選挙区 | 兵庫7区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2003年11月10日 - 2009年7月21日 |
選挙区 | 西宮市選挙区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1979年4月23日 - 2000年11月9日 |
経歴
編集兵庫県立尼崎高等学校を卒業し、1962年、京都大学法学部に入学[要出典]。1966年大学卒業後、民間会社勤務を経て、1979年に兵庫県議会議員選挙に西宮市選挙区から立候補し当選する。民社党会派に所属し(民社党離党後は無所属)、連続6回当選[要出典]。
1989年1月に高等専修学校甲英学院を創設、以後2010年3月まで理事長を務める。藍綬褒章受章(1999年)[要出典]。
2000年に西宮市長選挙に立候補したが、元西宮市教育長である山田知に28票差で落選。
2003年の第43回衆議院議員総選挙に自民党公認で立候補。同じ選挙区には、社民党党首の土井たか子・元衆議院議長がいたが、前年に北朝鮮が拉致疑惑を認めたことで社民党への逆風が吹いたこともあり、土井を破って初当選(土井は比例復活)。2005年に2回目の当選。
2006年9月発足の安倍内閣で、防衛庁長官政務官に就任。2007年1月の防衛省発足に伴い、初代防衛大臣政務官に就任。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に自民党から立候補。公明党の推薦を受けるも落選した[1]。
人物
編集政治的主張
編集- 北朝鮮に対して県議時代から強硬な姿勢を取っている。初当選した第43回衆議院議員総選挙でも拉致被害者家族会から支援を受けている[要出典]。
- 新しい歴史教科書をつくる会支援者の一人[要出典]。
- 選択的夫婦別氏制度の法制化については、2004年3月11日の自民党法務部会にて「国家解体運動の一環」[2]と発言するなど反対の姿勢を示している。
統一教会・集団結婚に祝電
編集発言
編集著作
編集- 中島英迪との共著『皇室典範改正への緊急提言』新風書房 2020年8月。
不祥事
編集その他
編集- 大前学園理事長のポストは、次男に世襲している[要出典]。
関係団体
編集所属していた団体・議員連盟
編集脚注
編集- ^ 比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)
- ^ 東京新聞、朝日新聞 2004年3月12日付
- ^ mms://222.122.72.150/vod3/2006/q2/20060516166201.wmv
- ^ 2008年3月9日 毎日新聞
- ^ 大前議員、不明朗取引=知人介在させ国有地取得-再落札依頼、7000万円安く時事ドットコム
外部リンク
編集公職 | ||
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先代 高木毅 愛知治郎 |
防衛庁長官政務官 →防衛大臣政務官 北川イッセイと共同 2006年 - 2007年 |
次代 寺田稔 秋元司 |