大内返
大内返(おおうちがえし)は、柔道の投技の足技21本の一つ。講道館では、1982年(昭和57年)に新たに名称として登録された。講道館や国際柔道連盟 (IJF) での正式名。IJF略号OUC。
概要
編集大内刈の返し技で後の先の技の一種である。受の崩しや刈り足の力が不十分だった時に有効である。
返し方には主に二種類ありどちらも技の名前は大内返となる。以下、受と自分(取)がともに右組の場合で解説する。
名称の経緯については後の先も参照のこと。
基本形は大内刈を小外掛で返す。 受が大内刈で右脚で取の左脚を内側から刈りにきたとき、取は受の掛けて来た脚をそのまま払い上げ、受を後方もしくは左側に投げる。技の形としては小外掛になるため、足技の大内返である。
相手の大内刈をすかしてからの場合は小外掛が記録される。小外刈で、相手の大内刈に返し技として仕掛けた場合は、小外刈が記録される。
変化
編集受が大内刈で右脚で取の左脚を内側から刈りにきたとき、取は受の軸脚の方を小外掛の様に左足で刈って返す大内返もある[1]。YouTube KODOKANチャンネルの大内返の動画ではこの技も紹介されている[2]。
大内すかし
編集大内すかし(おおうちすかし)は受が大内刈で右脚で取の左脚を内側から刈りにきたとき、取はその足を浮かせて受の刈り脚のかわし、受が片足になり不安定になったところを右前隅、もしくは左前隅に大きく崩しながら引き落とす大外返。
技の形としては手技浮落であるため、この形で投げた場合は手技とするのが妥当であるとも考えられ、1982年の「講道館柔道の投技の名称」制定に向けて講道館では新名称の候補に挙がったが、採用されなかった[3][4]。柔道家の醍醐敏郎によると、「大内隙」または「大内刈隙」の名称で採用が内定していたが採用されなかった[5]。別表記大内透[6]、大内隙[5]。別名大内刈隙[5](おおうちがりすかし)。
脚注
編集- ^ 醍醐敏郎「講道館柔道・投技~分類と名称~(第32回)9,大内返<足技>」『柔道』第64巻第10号、講道館、1993年10月1日、44-46頁、NDLJP:6073718/28。
- ^ 大内返 / O-uchi-gaeshi(32s〜) - YouTube KODOKANチャンネル
- ^ 「柔道の投技の名称について」『柔道』第54巻第2号、講道館、1983年2月1日、22頁、NDLJP:6073590/16。「参考 新しい投技名称の候補として挙げられたけれども、採用されなかったもの」
- ^ 醍醐敏郎『写真解説 講道館柔道投技 中』本の友社 1999年 ISBN 4-89439-189-9[要ページ番号]
- ^ a b c 醍醐敏郎「講道館柔道・投技~分類と名称~(第32回)9,大内返<足技>」『柔道』第64巻第10号、講道館、1993年10月1日、49-50頁、NDLJP:6073718/30。
- ^ 嘉納行光、川村禎三、中村良三、醍醐敏郎、竹内善徳『柔道大事典』佐藤宣践(監修)、アテネ書房、日本(原著1999年11月21日)、64頁。ISBN 4871522059。「大内透」
外部リンク
編集- 大内返 / O-uchi-gaeshi - YouTube KODOKANチャンネル
- 画像付き解説 柔道チャンネル