大久保 忠美(おおくぼ ただよし、文政3年3月9日(1820年4月21日) - 元治元年8月20日(1864年9月20日))は、江戸時代後期の大名。下野烏山藩の第7代藩主。烏山藩大久保家8代。
第6代藩主大久保忠保の三男。母は水野忠光の娘。官位は従五位下佐渡守。
兄の忠寿がいたが廃嫡され、代わって嫡子となる。嘉永元年(1848年)、父の死去に伴い家督を相続した。元治元年(1864年)に45歳で死去し、跡を長男の忠順が継いだ。
父母
側室
子女
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