大久保忠由
大久保 忠由(おおくぼ ただよし)は、相模小田原藩の第5代藩主。小田原藩大久保家7代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元文元年11月19日(1736年12月20日) |
死没 | 明和6年10月1日(1769年10月29日) |
戒名 | 雲岳了空光輪院 |
墓所 | 東京都世田谷区太子堂の教学院 |
官位 | 従五位下、加賀守、大蔵少輔、安芸守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 相模国小田原藩主 |
氏族 | 大久保氏 |
父母 |
父:大久保忠興、母:鈴木氏 養母:柳沢吉里の娘 |
兄弟 | 忠由、忠厚 |
妻 |
正室:榊原政岑の娘 側室:小川氏 |
子 | 忠顕、忠彦(三男) |
元文元年(1736年)11月19日、第4代藩主・大久保忠興の長男として小田原城で生まれる。宝暦13年(1763年)9月10日、父の隠居により家督を継ぐ。
宝暦14年(1764年)5月に倹約令を出して藩財政の再建を目指したが、病弱だったために藩政に力を振るえず、明和6年(1769年)10月1日に死去した。享年34。
跡を長男・忠顕が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 榊原政岑の娘
側室
- 小川氏
子女