堀田正修
堀田 正修(ほった まさもと)は、江戸時代後期の下野国佐野藩の世嗣。官位は従五位下・左京亮。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化13年1月22日(1816年2月19日) |
死没 | 嘉永2年7月28日(1849年9月14日) |
改名 | 純若丸(幼名)、正修 |
官位 | 従五位下左京亮 |
藩 | 下野佐野藩世嗣 |
氏族 | 堀田氏 |
父母 | 堀田正衡 |
兄弟 |
正修、棟姫、土井利祐、正發、紀子、 正徳、石川総参室、北条氏恭、日野資訓室 |
妻 | 大岡忠固娘 |
子 | 正頌 |
略歴
編集下野佐野藩主・堀田正衡の長男として誕生。幼名は純若丸。正室は大岡忠固の娘。
天保3年(1832年)10月15日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。天保6年(1835年)12月16日、従五位下・左京亮に叙任する。嘉永2年(1849年)7月28日に家督を相続することなく早世した。代わって長男・正頌が世継となった。