地蔵院 (幸手市)
埼玉県幸手市にある真言宗豊山派の寺院
地蔵院(じぞういん)は、埼玉県幸手市にある真言宗豊山派の寺院。
地蔵院 | |
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所在地 | 埼玉県幸手市下吉羽124 |
位置 | 北緯36度04分04.2秒 東経139度45分55.7秒 / 北緯36.067833度 東経139.765472度座標: 北緯36度04分04.2秒 東経139度45分55.7秒 / 北緯36.067833度 東経139.765472度 |
山号 | 松林山 |
院号 | 地蔵院 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 地蔵菩薩 |
創建年 | 文治3年(1183年) |
開基 | 政義 |
中興年 | 元亨元年(1321年)【第1次】、永享年間(1429年 - 1441年) |
中興 | 源親泰【第1次】、梶の戸御前【第2次】 |
公式サイト | 真言宗豊山派 地蔵院 (埼玉県幸手市) |
法人番号 | 2030005004594 |
歴史
編集1183年(文治3年)、政義の開基である。政義は下河辺荘の庄司行平の弟である。政義はある夜に霊夢を見て、子育地蔵尊を高野山より勧請して、「西の坊」と呼ばれる学寮に安置したのが起源である。その後、西の坊は荒廃したが、1321年(元亨元年)に領主の源親泰によって再建され、「松林山坊合寺」と名付けた。永享年間(1429年 - 1441年)、一色頼氏の妻「梶の戸御前」が頼俊阿闍梨を迎えて中興した。その際に院号として「地蔵院」が与えられた[1][2]。
江戸時代は、近隣では最も大きな寺院として栄えていた。しかし1869年(明治2年)の火災で庫裏を残して灰塵に帰してしまった。1901年(明治34年)に本堂が再建された。また1912年(明治45年)に同市木立にあった「正覚院」を合併している。正覚院は天慶年間(938年 - 947年)に創建された藤原秀郷を開基とする寺院であったが、明治期には半ば廃寺化していた[1][2]。
交通アクセス
編集- 路線バス吉田橋停留所より徒歩5分。
脚注
編集参考文献
編集- 埼玉県佛教会 監修『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』千秋社、2001年