土肥豊隆
土肥 豊隆(どひ とよたか、1639年(寛永16年) - 1732年2月1日(享保17年1月6日)は、江戸時代初期の有楽流(織田貞置流)茶人。三河吉田藩士。通称は「孫兵衛」。土肥二三(じさん[1])と名乗り、自在軒と号した[2]。
来歴
編集三河吉田藩・物頭役として知行200石を食む。通称は孫兵衛[2][3]。余技として平家物語などを巧みに吟じたが、奏でた琵琶は「杜鵑」の銘のある秘蔵の逸品であった[2]。挿し花や香道を嗜み、伽羅の名香も所蔵した。有楽流の茶道を織田貞置に師事して修める[1]。一子を失くした事により、世を儚んで元禄3年(1690年)致仕[4]。京都の岡崎に草庵を結んで隠棲し、風流の余生をおくった[3]。
「火宅とも、しらで火宅にふくめしは、直に自在の鑵子なりけり」
と詠んで「自在軒」と号した。
享保17年1月6日(1732年2月1日)死去。享年94歳[2]。
数寄者として知られ近衛家煕、鷹司輔信らとも交流があった[2]。土佐藩士・谷村自足などの門人がいた[1]。
茶道相伝系譜
編集補註
編集参考文献
編集- 『近世畸人伝(正・続)』
- 『朝日日本歴史人物事典』
- 『日本人名大辞典』
- 『土佐茶人系譜』甲藤勇著