喜連川人車鉄道
喜連川人車軌道[* 1] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
路線総延長 | 8.2 km | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
軌間 | 610 mm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
停車場・施設・接続路線(廃止当時) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
喜連川人車鉄道(きつれがわじんしゃてつどう)は、かつて栃木県塩谷郡氏家町(現・さくら市)にあった鉄道院氏家駅と、同郡喜連川町(同)を結んでいた人車鉄道、およびその運営会社である。営業は1902年(明治35年)から1918年(大正7年)。1909年(明治42年)に社名を喜連川人車軌道(きつれがわじんしゃきどう)に改称している。
路線データ
編集運行停止時点
- 路線距離:氏家 - 喜連川 8.2km
- 軌間:610mm
- 駅数:5駅(起終点含む)
- 電化区間:なし(全線非電化)
運行形態
編集1906年(明治39年)4月時点では1日7往復の客車が設定されていた。他に乗客3人以上で臨時客車の運行有り。所要時間は上り氏家行きが1時間10分、下り喜連川行きは60分[1]。
歴史
編集駅一覧
編集運行停止時点
- 氏家(うじいえ) - 並木(なみき) - 松山(まつやま) - 荒川(あらかわ) - 喜連川(きつれがわ)
接続路線
編集輸送・収支実績
編集年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | 支払利子(円) | その他損金(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1908 | 27,674 | 3,457 | 5,300 | 4,950 | 350 | 44 | |
1909 | 36,900 | 3,400 | 5,301 | 4,101 | 1,200 | 1,159 | |
1910 | 35,592 | 2,185 | 4,904 | 4,013 | 891 | 896 | |
1911 | 37,974 | 2,816 | 4,871 | 4,841 | 30 | ||
1912 | 35,316 | 2,894 | 4,272 | 4,271 | 1 | ||
1913 | 21,559 | 1,725 | 4,161 | 4,213 | ▲ 52 | ||
1914 | 40,017 | 1,858 | 3,868 | 3,272 | 596 | 590 | |
1915 | 37,098 | 720 | 3,268 | 2,741 | 527 | 506 | |
1916 | 37,021 | 900 | 5,347 | 5,279 | 68 | ||
1917 | 41,891 | 850 | 4,127 | 4,173 | ▲ 46 | ||
1918 | 5,560 | 250 | 1,560 | 1,583 | ▲ 23 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料各年度版
脚注
編集- ^ 1906年4月改正の時刻表より『かつしかブックレット15 帝釈人車鉄道 -全国人車データマップ-』60頁
- ^ a b 「軌道特許失効」『官報』1918年7月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『日本鉄道旅行地図帳』3 関東1、27頁。
- ^ 出典は『栃木県鉄道史話』であるが『私鉄史ハンドブック』および『日本鉄道旅行地図帳』では廃止日を6月23日としている
- ^ 鉄道院鉄道統計資料大正7年度(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献
編集- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 3 関東1、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790021-0。
- 大町雅美『栃木県鉄道史話』落合書店、1971年、349-356頁
- 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気
- 『かつしかブックレット15 帝釈人車鉄道 -全国人車データマップ-』葛飾区郷土と天文の博物館、2006年
関連項目
編集外部リンク
編集- 木下立安『帝国鉄道要鑑 第二版』鉄道時報局、明治36年(国立国会図書館デジタルコレクション)