和美峠(わみとうげ)は、長野県群馬県県境に位置する標高は984メートル。輪美峠とも書かれた。

和美峠
所在地 群馬県安中市長野県軽井沢町
座標
和美峠の位置(日本内)
和美峠
北緯36度17分51秒 東経138度38分48秒 / 北緯36.29750度 東経138.64667度 / 36.29750; 138.64667座標: 北緯36度17分51秒 東経138度38分48秒 / 北緯36.29750度 東経138.64667度 / 36.29750; 138.64667
標高 984 m
山系 関東山地
通過路 群馬県道・長野県道43号下仁田軽井沢線
プロジェクト 地形
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付近の街道と峠の関係

長野県の軽井沢側からはほとんど平坦で、群馬側も付近の入山峠碓氷峠に比べて傾斜が緩やかである。このため江戸時代には物流に利用された。

歴史

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初鳥屋から西野牧(現・下仁田町)の渓谷を経て本宿(現・下仁田町)に出て富岡道(現・国道254号)と合流する道があり、この経路を下仁田から富岡藤岡を経て武蔵国の鎌倉街道に繋がる中世の道とする説もある。

近世には中山道脇往還にあたる下仁田道(信州姫往還)が通り、商品流通や中馬道に利用された。信濃国からは米穀が、上野国からは塩、茶や日用雑貨が主に運ばれていた。借宿から峠の間には道標を兼ねた馬頭尊などの石造物が点々と残る。当時、軽井沢三宿(軽井沢沓掛追分宿)にとってこの道が中馬に利用されることは不利益にあたったため、借宿に間道通行禁止の立札を立てたり間道を通る粗朶薪の不買をしたりしたが、効果は低かった。

しかし、享保7年(1722年)1月の大雪を契機に岩村田宿(現・佐久市)から香坂を経て矢川峠を越える日影新道が認められ、また内山村(現・佐久市)から内山峠を経て市野萱に通じる内山通ができると、商品流通はそちらに移行していった。文化11年5月8日1814年6月25日)には幕府測量方の伊能忠敬が追分宿から和美峠と初鳥屋宿を通って脇往還の測量を行なった。また明治3年(1870年)には英国人・アダムスらが信州の養蚕視察のためこの峠を通っている。

参考文献

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  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)

関連項目

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